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《プロフィール》
チン・フェイ。北京生まれ。中学教師、記者、編集を経験後、94都市東京へ移駐。朝日文化センター、東京大学などにて教鞭を取り、80年代末、文筆活動を始める。エッセイ集『風月無辺』『桜雪盛世』『北京記憶』など著書多数(中国語)。北京作家協会会員。 |
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この半月、天津、北京、蘇州、上海、南京、広州、南昌、景徳鎮の八都市に足を運んだ。またすぐに、南京と揚州に行くことになっていて、少し飽き飽きしている。
実のところ、旅行にはそれほど魅力を感じていない。8年前に北京から東京に移住してから、旅行をしているという感覚は、一時も私を離れたことがない。北京に戻った時ですら、明らかに里帰りをしているのに、まるで旅行中のような気分になってしまう。
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精緻で美しい茶具 |
八都市での話題に戻そう。旅行に出掛ける時、私は、必ず飲み慣れた茶葉、かぎ慣れた香、聞き慣れた音楽CDやテープ、使い慣れた文房具を持っていく習慣がある。こうすることで、未知の土地でも、すぐに自分の過ごしやすい環境を作り出すことができるからだ。このような慣れた住環境があってはじめて、地元の文化、人情、風景、産物を充分に味わおうという意欲がわく。
喫茶のことだけを言えば、いつでも飲み慣れた茶葉を持ち歩いているため、お茶を飲めずに気が滅入る心配はない。それでも、地元の銘茶を味わいたいのであちこちを探し回る。例えば、南京では雨花茶、江西省では毛峰と雲霧を味わった。
このような経験からは、降水量や環境汚染の度合いなど、その土地の自然やその変化を感じることができる。同時に、茶葉の値段から、地元の経済状況も知ることができる。
最後に訪れた景徳鎮市で、自分好みの茶に出会えたのは収穫で、私は多めに買い込んだ。この茶葉について紹介しよう。
陶磁器の彩色うわぐすりの専門家であるオヒ希平さんの招待で、得雨活茶というお茶を飲んだ。彼女は、「お茶を入れるのが下手で申し訳ありません」と何度も恐縮がった。正しい入れ方をすれば、得雨活茶の茶葉は、グラスの中で立つ。茶葉が立つのは珍しいことではなく、洞庭湖周辺が産地の君山銀針という茶葉も同じ特徴を持っている。
貴重なのは、得雨活茶は、新鮮でありながら、厚くて重みのある味がすることだ。普通、新鮮で柔らかければ、少年が往々にして老練でないのと同じ理屈で、厚さや重みは得難いものだが、この茶は違う。もし、人にたとえると、北京でよく言われる「小大人」のような茶葉だ。「小大人」とは、早くから心理的に成熟し、大人のような発想をする子どもを指す。
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陶磁器で有名な景徳鎮の市場 |
ただ、得雨活茶が、完全にそうであるとは言い切れない。数日間、ずっと適当な形容はないかと考えてきたが、運良く、筆を手に執った際に思いついた。これは「君子」の童心(子どもの心)に違いない。ここでいう「君子」とは、『論語』にある「君子」の意味で解釈する必要がある。この発想で考えると、茶名の「得雨」は天を敬うことで、「活」は順調な人生を歩み人を思いやることを指す。ただ、地元の人はそうは釈明していないので、私の発想には無理があるのかもしれない。
どちらにしても、私はこのお茶が好きになった。好きになって欲が出たため、たくさん買いたくなった。ある晩、時間があったので、一人で街に出て茶店を探しに行った。タクシーで数店を回ったが、すでに深夜だったためいずれも閉店していて、時間を掛けてようやく営業中のそれほど大きくない茶店を見つけた。接待の女性は美しく、とても落ち着いた印象を与えてくれる人だった。
彼女に得雨活茶を買いたいと伝えると、「自分で飲むのか、それとも贈答用か」を聞かれた。「自分で飲む」と答えると、彼女は、「得雨活茶は有名で価格が高く、包装にも工夫を凝らしています。ご自分でお召し上がりなら、お手軽な値段のものがよいでしょう。実際、得雨活茶と同じ産地の茶葉が数種類ありますよ。それほど有名ではありませんが、味は劣らず、値段はずっと安いですから」と勧めながら、数種類を選んでくれた。
茶葉を見る限り、彼女の言う通り、大きな違いはなさそうだったため、話を信じて薦められた茶葉を全部買った。支払いの時、「おつりはいりません」と伝えたが、彼女はそれでは困ると、端数まで返してくれた。
この原稿は、そのお茶を飲みながら書いている。粗末な包装紙に、古い詩が印刷されているのがふと目に入った。
商人重利軽別離 前月浮梁買茶去
(大意:商人は利益を重んじ、別離を軽んずる。先月、浮梁に茶を買いに行った)
浮梁とは、江西省景徳鎮市の近くにある小さな県の名前で、茶の産地として知られている。茶葉商人たちは、しばしば浮梁と景徳鎮の間を往復する。私は思わず茶店と対応してくれた若いスタッフを思い出し、口に含んだお茶をさらにおいしく感じた。人と人の交流は、お茶以上に味わい深い回想を与えてくれる。
このコラムは、今月号で最終回となりました。私は、このコラムも小さな茶店ではないかと思います。愛読してくださった皆さまに感謝します。名残惜しい気持ちでいっぱいですが、ひとまずここでお別れし、またどこかで「交流」したいと思います。(2002年12月号より)
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