ラクダに愛情をそそいで
                                       写真 文・魯忠民
 

現在、観光客に利用されている砂漠地帯のラクダ(寧夏回族自治区)

 ラクダは、かねがね「砂漠の舟」と呼ばれた。古代、シルクロードを行くキャラバンは、中国のシルクや茶、陶磁器などを西域へと運び、中央アジアやヨーロッパからの宝石や真珠、薬材などを中国へと運び込んだ。50年代前までは、ラクダのキャラバンはその地方での主な運送手段であった。行く先も中国の西北・華北の各地へと、広範囲にわたっていた。その後、道路や鉄道などが発達してからは、ラクダはあまり見られなくなった。科学調査や探検、撮影、観光のためでしか、ラクダの「活躍の場」がなくなったからである。

 かつては、キャラバンにもいくつかの形態があった。ラクダの数が多く、長距離運送ができた専門の業者もいれば、貨物の量や距離により、ラクダを集めて随時編成する飼い主たちもいた。

 長距離運送の場合は、数千キロの行程に3、4カ月を要することもあった。とくに砂漠の中では、水は人命にかかわった。そのため出発前になると、持ち物として楕円形の皮袋に入れた水やテント、食糧、野営の炊事用具などを用意した。

 しかし、ラクダにやる水は必要がなかった。出発前の十数日間はラクダにいっさい水を与えず、その体を軽くしてやった。出発間近にようやく水を与えると、その飲みっぷりは気持ちがいいほどで、一匹あたり百キロ以上の水を飲んだ。そうすると、10日や半月くらいは水をやらずに済んだのだという。

 キャラバンは、ふつう数10匹から編成された。7匹または11匹、15匹を一組として、その鼻と鼻の部分をロープでつなぎ、飼い主が先頭ラクダに乗って他を導いた。一人が7匹として4人の飼い主がいれば、合わせて28匹になる。こうして規模の大きなキャラバンが組まれたのである。

 昔は遠路ともなると、さまざまな危険や天災、人災に遭遇することが多かった。こうした災禍を避けるために、彼らは「吉日」を選んで出発したり、神霊の加護を祈ったりした。甘粛省・河西回廊を行くキャラバンの中には、出発するとき、二つのたき火の間を通り抜ける風習を持つものもあった。厄除けや吉祥にご利益がある、と考えられたからである。

 行路では、ラクダの離脱を防ぐために、列の最後のラクダに扁平型の「駝鈴」と呼ばれる鈴をつけた。先頭にいる飼い主が、その鈴の音を聞くだけで、後ろのラクダの安否を気遣うことができたのだった。

 彼らの生活は苦しく、いわば「根なし草」の稼業であった。苦労を重ねて旅をして、ラクダとは離れられない暮らしとなった。そのため、ラクダに深い愛情を注いでいた。休憩できる場所や目的地に着くとラクダから荷を降ろし、その疲れた体を休ませてやった。

 ラクダは、砂漠の上だと自由自在に歩けるが、硬い石やアスファルトの道だと、足の裏のやわらかい肉質がすり切れてしまう。飼い主たちは、「急がば回れ」でそうした道をなるべく避けた。また、やむを得ないときには、その足の裏にやわらかな羊の皮をくくりつけ、ラクダの足をやさしくいたわったのである。(2002年5月号より)