曹雪芹が伝えた凧文化

                           文 写真・魯忠民


凧を作る孔祥沢さんの息子とその嫁



 中国の古い民間工芸である凧は、すでに春秋時代(紀元前770〜前476)には木製や竹製の「鳶」と呼ばれるものがあった。その後、紙製の鳶が登場し、五代十国時代(907〜960)からは風筝と呼ばれて、さまざまな色や形の凧が生み出されてきた。

 近現代の凧の名産地としては、北京や天津、山東省ホォ坊、江蘇省南通などがあげられる。とりわけ北京の凧は、工芸の細やかさと古典的な色彩の豊かさで、広く知られている。

 凧を一つ作るには、その設計から材料選び、成形、骨組み、紙の貼りつけ、裁断、作画、組み立て、糸つなぎ、凧揚げによる最終チェックまで、十のプロセスが必要だ。それは主につなぐ、貼る、描く、揚げるという「凧の四工芸」に集約される。

 北京の凧は「曹式」「金式」「哈式」に代表されており、曹式凧の創始者は、中国の古典文学『紅楼夢』の作者・曹雪芹であると言われている。曹雪芹は中国を代表する文豪であるばかりか、凧の観賞と制作に精通した大家でもあった。その著書『南鷂北鳶考工志』には、四十三種類にのぼる凧の四工芸が詳述されている。また、それぞれに彩色された骨組みの図や、やさしく覚えやすい歌が添えられている。それは北京の凧の形成に、重要な役割を果たしたと考えられている。

 今も凧作りを伝えるベテラン職人・孔祥沢さんは修業中の若いころ、ある日本人の手元にその本があるとわかり、借用して日夜それを書き写した。残念なことには、後にその日本人との連絡は絶えてしまったが、当時書き写した資料は貴重な財産となり、孔さんの「凧人生」における研究と制作の「お手本」になったのである。

 北京の凧は種類が多く、現存する『北平風筝譜』には二百種あまりの凧が紹介されている。北京の凧には、硬翅(羽が固定されたもの)、軟翅(羽が動くもの)、拍子(拍子木型)、串(連凧)、筒(筒型)、沙燕(ツバメ型)などの基本様式がある。中でも沙燕は北京の凧、ひいては中国の凧を代表するものである。

 沙燕は扎燕とも呼ばれ、ツバメを模した形をしている。それはさらにデフォルメを経て定型化され、民族色と装飾性の豊かな凧になっていった。沙燕の形もさまざまで、肥燕や痩燕、雛燕、比翼燕(二羽が並んだもの)などがある。曹雪芹の著書には「肥は男、痩は女、雛燕は子ども、双燕は夫妻」という歌が記されていたというが、いずれにも凧を擬人化した民間職人たちの豊かな感性と、人生への賛美が注がれているのである。

 沙燕凧の構造は簡単だ。五本の竹ひごを骨格とし、そのうち上下二本の竹ひごを曲げて、「膀兜」と呼ばれる羽をつくる。こうすると、風が弱くても凧が揚がり、風が強いと凧を安定させることができる。他の種類の凧よりも、飛行能力に優れるのであった。

 沙燕から変遷した凧は多様で、全国各地に及んでいるが、装飾の基本は厳しく制限されている。まず目、くちばし、羽、つめなどの輪郭を墨で線描し、その後、色とデザインを書き入れる。職人は、沙燕の羽や腰、胸、尾などにコウモリ、桃、牡丹など縁起のいいデザインを描いて、凧を揚げる人の幸福や長寿、富貴を願うのである。(2002年8月号より)