木炭の粉から生まれる年画

                           文 写真・魯忠民


真剣な面持ちで撲灰年画をつくる民間職人たち

 中国には年越しの際に、玄関や室内に年画(旧正月を祝うめでたい図柄の絵)を貼る習慣がある。「お金があってもなくても、年画を買って年を越す」といわれ、かつて古人は、レンガのレリーフを玄関の上に飾ったり、門神を描いた絵を門戸に貼ったりして、厄や邪気をはらった。

 宋代以降は木版印刷の出現により、年画が急速に発展した。伝統的な年画はおもに木版印刷だったため、「木版年画」と称された。清代になると、木版年画の産地はあまねく全国に分布した。とりわけ天津の楊柳青、山東の楊家埠、河南の朱仙鎮、蘇州の桃花塢などの年画が有名になっていった。

 ほかに、別の方法で各種の年画をつくる工房があり、それらの作品もよく知られるようになった。「撲灰年画」(木炭の粉を使った年画)は、まさにその中の一つである。

 撲灰年画は、山東省高密市でつくられる民間の年画だ。製作に木炭の粉を利用して下絵をコピーすることから、そう呼ばれている。つくり方はまず、木炭画のように木炭で下絵を描く。次に、別のつや紙に下絵をのせて写しとる。こうすると下絵に残る木炭の粉によって、下絵のコピーを何枚もとることができ、作業時間の短縮にもなる。その後、水彩絵の具で人物の顔を描き、身体に色彩を施し、輪郭をとり、眉をひき、刷毛で背景を彩り、金粉で線描する(背景に、根カラシナの断面を彫刻してつくった花模様の判子を押す場合もある)。そして最後に、重要な部分に明油(アルコールやマツヤニ、卵白、ニカワなどを合わせたもの)を塗り、光沢をつけたら完成である。

 撲灰年画の技法は、明・清代に形成された。木版年画と伝統的な墨屏画(屏風型の水墨画)の影響を受け、それまでのモノクロ刷りから美しい多色刷りへと変化して、地方色豊かな年画となった。

 撲灰年画は、二重に表装したつや紙の全紙に作画するので、その作品はスケールがとても大きい。題材の多くは子どもや女性で、代表作に『母子楽』や『姑嫂閑話』などがある。おもに日常生活の一コマが描かれており、明・清代の現地の人々の習俗をよく反映している。また、人物の動きや表情は、明・清代の戯曲の影響を受けて形式化された。それは、年画の背景を省略して人物を浮き立たせた。顔の部分は戯曲役者と同じく細密に描き、その他の部分は大胆に花や葉で彩って、画面を充実させた。

 その芸術作風の形成は、手仕事による生産様式とかかわりがあった。清代末期から明代初めにかけて、高密の三合永画店では画工70人あまりが雇用され、1日に一人あたり40枚がつくられた。金稼ぎのために、名手は日に70枚を作画したともいわれる。

 顔を描くことから明油塗りまで、すべての作業は一人で行われた。こうした大仕事をこなすために、画工たちは二本の筆を併用する「鴛鴦筆」、数本の筆をしばって使う「排線筆」、根カラシナを花模様の判子として使った「咸菜花」など、実にたくさんの専用道具をつくり出し、仕事の効率化を図った。

 印刷技術が進歩し、洗練されるにつれて、妙趣に富んだ撲灰年画がつくられていった。しかし現在、撲灰年画の職人は減少化しており、こうした伝統芸術も消えゆく運命にあるのだという。(2002年10月号より)