社会人になってから七年間、中国への想いやみがたく、ずっと中国とかかわり続けてきた。そして2004年3月から一年間、中国に留学に来た。
学生時代、早稲田大学の学生サークル「緑の訪中団」に参加した。内蒙古で緑化をすすめる日本のボランティア団体に加わって砂漠で植林をしたり、中国各地の大学生との交流会に参加したりした。
そのときに見た中国の学生たちは、一部屋に何人もいっしょに寮生活したり、郷里まで五日間もかけて汽車で帰ったり、夜遅くまで猛勉強していたり……。「日本人ならとても困難に感じることを、あっさりやってのけるのはすごいなあ」と感じた。それは、観光で中国に来たのではわからないことだった。
社会人になってから、仕事のかたわら日本語教師の資格を取得し、中国人に日本語を教えるボランティアを始めた。夜間の中国語学校にも通い出した。
中国人の友人もできた。ある人は、学費を稼ぐために一年間、一日も休まずアルバイトをしていた。自分の目的達成のためには、よく働き、よく勉強し、そして貯金する。「中国人は、たくましい」と思った。彼女が悩んでいると、逆に中国の友人から励まされたこともある。
「中国語をもっと勉強して、中国と中国人をもっと理解したい」という思いがつのった。辞職も考えたが、勤務先の理解もあって、海外留学の形で一年間の中国留学が実現した。
いったい中国のどこがそんなに彼女を魅了したのか。「中国というものは、本を読んでも、旅行をしても、日本にいる中国人と付き合っても、ますますわからなくなるのです。『わからない』のが中国の魅力でしょう」
留学した後、それまで知らなかった中国の庶民の生活にも触れた。スーパーで不良品の返品を求めるときも、道端で喧嘩するときも、中国人は「面子を大事にし、絶対に謝らず、権利を主張する」と感じた。しかし、その言い分の中にも、「なるほど」と思うこともあって、「物事の善悪や価値観とは何なのか、深く考えるようになった」という。「そうしてまたいっそう、中国、とくに中国人がわからなくなって、さらに魅力的になったのです」と言うのである。
彼女が勤めてきた日本点字図書館は、視覚障害者のために点字本や朗読テープ・CDを製作したり、貸出したりしている。点字は表音字なので、日本の点字と中国の点字は同じではないが、「六つの点」で表すことは世界共通だ。
最近では、アジア諸国との交流の機会も増えているので、「学んだ中国語を今後の仕事に生かせれば」と思っている。彼女が中国の人に渡す名刺には点字が打たれている。
「分からない」中国にますますのめり込む彼女。「留学中、辛く、悔しいこともあったけれど、それを上回るものが中国には確かにありました。その経験が、将来様々な局面で自分を支えてくれると思います」と彼女は言っている。
(文=賈秋雅 写真提供=川島とも子)(2005年03月号より)
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