現在、日本での仕事を一旦お休みして、北京の大学でマスメディア研究を行っています。北京に来たのは2008年北京五輪でキャスターの仕事がしたいとの思いからでしたが、現在は発展を続ける街そのものに魅了されています。
中国との本格的な出会いは03年8月、夏休みを利用し北京の中央戯劇学院に3週間短期留学をしました。当時私はNHK静岡放送局を離れ、フリーランスとして歩み始めたばかり。仕事を取るには常にオーディションを勝ち抜いていかなければならず、私はその生活に少し疲れを感じていたように思います。
自分から何か始めなければと中国語の勉強をスタートさせましたが、待っていたのは40度近い猛烈な暑さと、全く通じない中国語での慣れない生活でした。ご飯をどう頼めばいいのかも分からず「なぜ貯金をはたいてまで来てしまったのだろう」と最初の1週間は後悔ばかりでした。
しかし学校周辺の胡同を歩いていると、上半身裸で朝から晩まで中国将棋をさすおじいさん、道端で何時間も話し込むおばあさんの姿。ゆったりと時間を過ごす北京の人々を見ているうちに、東京で常に感じていた「何かをやらなければ」というプレッシャーのようなものがすっと心の中で溶け、柔らかい表情に変わっていったことを思い出します。
「ここで暮らしてみたい!」と直感で感じ、翌年秋からは日本での仕事を一旦お休みして、マスメディア学の権威、中国人民大学新聞学科での留学生活を始めました。
実際に住み始めると、北京は予想を超えるスピードで新しいビルが建ち、胡同も開発の波に押され少なくなっています。しかしそこで生活する人の表情はやはり穏やかで、私はほぼ毎週末、留学生楼から一時間ほどかけて胡同に通っていました。秋には念願だった引越しを済ませ、今は古い街並みを毎日堪能しています。
胡同の魅力は多くありますが、まずここにいるとタイムスリップしたような感覚を覚え、また季節の移り変わりを敏感に感じる事ができます。道端に高く白菜が積まれれば間もなく厳しい寒さの冬が訪れ、タンクトップの下着姿の人が増えれば夏がやってくる。また一番の魅力は「人の温かさ」です。頻繁に買い物に出かける青空市場では、2、3日顔を見せないと「最近どうしたの?」と家族のように声を掛けてくれます。コピー屋さんで働く17歳の女の子は、仕事を終えた後も深夜まで中国語の発音練習に付き合ってくれるのです。以前は、異国で暮らす寂しさを感じる事もありましたが、今はご近所の皆さんが私の家族のようなもの。真冬の寒さの中でも外に出れば暖かい気持ちでいっぱいになり、心が満たされます。
昨年は日本と中国の関係に緊張が走った年でもあります。今後、テレビを中心に、雑誌・ラジオなど様々なメディアで中国の情報を伝えていきたいと考えていますが、このような時だからこそ伝えるべき事はたくさんある。その思いを胸に、ベランダ越しに胡同の街並みを見ながら企画書を練っている時間、これが今の私にとって一番充実した時間といえるかもしれません。(2006年3月号より)
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