滕
王
閣
閣と楼はともに古代の高層建築群で、形も非常に似ています。上から見ると閣は方形、長方形あるいは多角形を呈していて、周囲に欄干のついた回廊などがめぐらされています。眺めを楽しんだり、また憩いの場所として、さらに書庫や仏殿として使われてきました。長江以南、すなわち江西省南昌の滕王閣、湖南省岳陽の岳陽楼、湖北省武昌の黄鶴楼は「江南三大楼閣」として宋代以降、そして今でもこう呼ばれています。建築の美しさはもちろんですが、名家の詩文、王勃の「滕王閣序」、崔の「黄鶴楼詩」、そして范仲淹の「岳陽楼記」があることで、その名をさらに高めているのです。
滕王閣の創建は唐代初期、今から1300年以上前になります。唐の高祖李淵の第22子である李元嬰は、兄の太宗李世民によって貞観13年(639)に滕(現在の山東省滕県)王の封ぜられ、のちに高宗李治の時に洪州(現在の南昌)の都督に任ぜられました。李元嬰は著名な画家で「滕派蝶画」を確立しましたが、政治面では何ら功績はなく、その傲慢ぶりはひどく、歌舞に溺れていた人です。永徽四年(653)に建てられたこの閣は、宴会や舞踏会を開くためのものでした。
滕王閣は時代の流れとともに焼失と再建を28回も繰り返して、1926年に姿を消して以降は、50年以上も廃墟のままだったのです。現在の閣は1986年の10月8日に落成しました。敷地面積は4・3万平方メートル。閣の両側に翼を思わせるように二つの亭が建っています。閣の高さは57・5メートル。地下二層と地上七層で、建築面積1・3万平方メートル。檐(えん)は四重の入り母屋造りになっています。閣の四周には宋代の大書道家蘇東坡の「滕王閣」、唐代の著名な書道家チョ遂良の「東引殴越」、顔真卿の「南溟回深」などの巨大なへん額が掛けられ、今でも名書として高く評価されています。
滕王閣は一つの文化の殿堂であり、規模や風格から見て三大楼閣の「冠」と言っていいでしょう。
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