課題も多い「首鋼」の将来② 従業員はどこへ
 
1992年に生産を始めた第三製鋼工場。三基の転炉と四基の連結鋳造機があり、鉄鋼の年産は300万トン近い(首都鉄鋼提供)

劉慧さんの息子である劉岩さんは39歳。7歳の男の子を持つ。彼は首都鉄鋼のカラーコーティング工場の生産ラインについている普通の労働者である。この工場は2002年に建てられ、全部輸入されたオートメーション設備を使っている。労働者たちはコンピューター室で、スクリーンに表示されるパラメーターをチェックし、マウスをクリックするだけで仕事ができる。父親の世代が汗を流して働いていた情景とはまったく違う。

現在、劉岩さんが働いているこの工場も、移転するかもしれない。彼の話によると、工場には環境汚染の問題はないが、大量の水蒸気と電力の供給が必要であり、この先はどうなるか、まったくわからない。

「これからどうなるにせよ、労働者たちは現在、普段通り働いていて、特に何かを心配してはいません。首都鉄鋼はきっと私たちをみな再配置してくれるでしょう。今の二十代、三十代の若者たちはみんな、仕事をしながら新しいものを勉強しています。彼らは曹妃甸の新工場に行きたがっています。そこの給料はたぶん少し高いかもしれません。でも、四十代、五十代で、特別な技能を持っていない人は、これからはかなり難しくなるでしょう」と劉岩さんは言う。

彼自身がどうするのか。「私は別にどうでもいいです。どこへでも行きます。ただ首都鉄鋼で20年も働いてきたので、情が生じ、『故郷離れがたし』という思いが少しあります」

まだ先の分からないカラーコーティング工場と比べれば、首都鉄鋼の第三製鋼工場の未来は明るい。今年の年末に生産を停止する。第三製鋼工場技術科の王堅さんによると、この工場の労働者は基本的にみな曹妃甸の新工場に行くという。「大多数の人が行きたがっています。今は、新工場の新しい設備と操作方法に慣れようと、みんなトレーニングを受けています」と言った。

第三製鋼工場の技術者の中核である王堅さん(中央)。彼は懸命に勉強し、新しい首都鉄鋼へ行き、さらに大きな挑戦を受け取るつもりだ

王さんが唯一、心配しているのは、新しい技術をうまく身につけられなくて、これからの新しい仕事がうまくいかないことである。

首都鉄鋼の移転で一番厳しい試練は、人の問題である。今回の移転で、首都鉄鋼には4~5万人の従業員を再配置する必要がある。しかし曹妃甸の新工場は、生産のオートメ化の度合いが高く、数千人しか必要でない。

残りの人々はだいたい三つの方向へ進むことになる。

第一は北京・順義区に年産150万トンの自動車用鋼板の冷間圧延工場が建設され、ここに一部の従業員が吸収される。

第二に、首都鉄鋼の非鉄鋼産業、たとえば電子製品、不動産、さらに首都鉄鋼移転後、元の場所で発展するサービス業などは、今後大きく発展する余地がある。こういった産業は、従業員を募集する必要がある。

第三に、年齢がかなり高く、新しい持ち場に就くのが難しい労働者に対しては、一定の補償を与え、早めに定年退職させる。そのために、2007年7月、首都鉄鋼は従業員就職サービスセンターを設立し、余った人員の再就職問題の解決を支援している。

北京に住む首都鉄鋼の従業員は8万余人、その家族も加えると十数万人になる。だから首都鉄鋼の移転は、首都鉄鋼にとっての重大事であるばかりでなく、北京にとっての重大事でもある。首都鉄鋼の剰余人員をみなうまく再配置してこそ、はじめて社会の調和と経済の発展を保証できる。このため首都鉄鋼の指導者たちは労働者に「一人一人の従業員を再配置し、工場が退役するその日まで、われわれは最後までここを去らない」と約束している。

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