中国四都市を訪問
北京若朴文化交流センター
日本には、「道」の付く言葉が多い。中国人によく知られている「茶道、書道、棋道(囲碁、将棋)」などのほか、まだよく知られていない「香道、剣道」などもある。「華道」のように、中国で注目されたばかりのものもある。 この「よく知られているかどうか」は、現代人を基準にしている。仮に歴史、文化の源をたどれば、実は「道」に相応する中国文化があったことがわかる。中国の「○○文化」と日本の「○○道」は、あたかも一本の木の二本の枝のように、共通するところがある。そこから中日文化の相違が見えてくる。もっと風呂敷を広げれば、中国の「○○文化」と日本の「○○道」には、ともに「アジア文明の精粋」が息づいている。特に21世紀には、この「精粋」が大切な役目を果たしそうだ。 江沢民国家主席は、茶道裏千家の百回目の訪中代表団と会見した際、「現代社会は、交通が便利になり、情報伝達も速くなったが、それでも、フェース・ツー・フェースの付き合いには、何にも替えがたい意義がある」と述べた。
2001年9月、国際交流基金の呼びかけにより、茶道、華道、香道の三道によって結成された「日本古典文化芸術訪中使節団」は、北京市、天津市、広東省、上海市の政協(政治協商会議の略称)の招きで、北京、天津、広州、上海の四都市を訪れた。使節団は合計七回の実演を行い、生で三道を見学した市民は延べ1500人に達した。新聞、放送局、テレビ局、それにインターネットを加えた中国メディアでは、その様子を百回以上も取り上げた。これほど強い反響が起きたのは、文化的共通点があるからだろう。しかも、フェース・ツー・フェースの付き合いによって生まれた親しみが、一層の温かさを感じさせてくれた。 このような温かさは、お互いに感じたものだった。 『北京娯楽信報』は、香道実演の全過程を詳しく掲載した。「香道の実演を見て、香道が持つ極致の優雅さに感心させられた。そして、気高くとまり、きままな生活に慣れた現代の都会の女性に、時間をみつけて、優雅に過ごす工夫をすべきではないかという思いを抱かせた」という記事の内容を知った三道の関係者は、記者を長年の親友のように感じたという。
天津市政協の陳福順秘書長は、使節団歓迎会の席上で、こうあいさつした。「近代以降、日本古典文化芸術界は、現代社会で、伝統文化をいかに更新、継承、発展させるべきかを探りはじめ、大きな成果を収めた。日本人の古典文化芸術での探索は、21世紀の新しいアジア文化芸術伝統形成の促進剤となるはずで、積極的な意義がある」。この話を聞いた三道の関係者たちは、最高の賛辞をもらったような気分だと感想を述べた。 北京では、北京市政協の陳広文主席、朱育誠副主席、黄以雲秘書長、孫聿副秘書長などが実演を観賞した。そして、盧松華副主席、宋維良副主席が、それぞれ使節団を接待した。 天津では、使節団を迎えるため、天津市政協の張好生副主席は、地方視察の日程を変更した。実演の開幕式では、天津市政協の三人の副秘書長が司会を担当した。楊大崢主席、趙克副主席、天津市の元指導幹部である張再旺氏、聶璧初氏、劉晋峰氏、何国模氏、楊輝氏、黄炎智氏、それに市政協の陳福順秘書長などが実演を観賞した。また、趙天皓副秘書長、魏学礼提案委員会副主任、胡勝才外事弁公室副主任も接待を担当したが、趙天皓副秘書長に至っては、疲労のため、使節団が帰国してまもなく、入院してしまった。 広州では、広東省政協の郭栄昌主席、劉維明副主席が歓迎会の司会を担当し、李国泰秘書長、孟華副秘書長が使節団の接待事務に参与した。 上海では、上海市政協の朱達人副主席、左煥陦副主席、兪雲波副主席が使節団と会見し、実演を観賞した。また蒋澄瀾副秘書長は、使節団のために京劇と昆曲(明末から清にかけて流行した旧劇の一種)の観賞スケジュールを組み、有名な芸術家である馬長礼氏、李薔華氏も特別出演するよう手配していた。また、劉毓海副秘書長は、率先して写真撮影を引き受け、古くからの友達である使節団の記念写真を撮った。 駐中国日本国大使館文化部の宮家公使、渡辺一等書記官、広州総領事館の若山総領事ご夫婦、松村副総領事ご夫婦、上海総領事館の市橋総領事ご夫婦、瀬野首席領事なども、各地での活動に参加した。上海の市橋総領事は、今回の活動を契機に、日中両国の交流がさらに活発になるように望むと語り、宮家公使は、2002年の日中国交正常化30周年に向け、良い雰囲気ができたと述べた。(2002年1月号より) |