@chinaわたしと中国

「撫順の奇跡を受け継ぐ会」事務局長 熊谷 伸一郎さん
元戦犯たちの反戦の心に学んで

 
[プロフィール]
 1976年横浜市生まれ。大学で日本の近現代史(沖縄戦)を専攻した。母親も幼少期に中国黒竜江省の佳木斯から引き揚げてきた一人だという。受け継ぐ会としては今後、中国帰還者連絡会のホームページhttp://www.tyuukiren.orgを継続し、元兵士たちの聞き取りも進める。「受け継ぐ会」電話FAX 0426-42-8690

 忘れられない光景がある。

 日本の近現代史に関心を深めていた2年ほど前の秋、元日本軍の兵士たちと中国を旅する機会に恵まれた。彼らは、50年前に収容されていた撫順の戦犯管理所を訪れ、涙ながらに自らの罪を語った。戦場で、罪のない中国の人々を殺し、家を焼き、そして奪った。戦争とは人を鬼に変えるなんと残酷なものか――。そう彼らが悔いるそばには、中国人の元管理所職員たちもいた。管理所で戦犯たちに、労役を科さず、危害も加えず、ひたすらに事実を見つめて反省することを促した人道的な人々。

 「戦争の実態を真摯なまでに語り継ごうとする元兵士と、それを見守る元管理所の職員と。かつては敵同士だったはずなのに、良心を持つ人間として互いに理解し、尊重しあっているように見えた。本当に感動しました」

 元兵士たちは、中国帰還者連絡会(中帰連)のメンバーだった。彼らは帰還直後の1957年に中帰連を組織し、中国での侵略行為を証言しては日中友好、反戦平和を訴え続けた。以来45年、会員の平均年齢は80歳をこえ、その数も当初の約千人から200人弱へと激減した。

 「このままでは歴史の真実が埋もれてしまう。じいちゃんたちのために何かできることはないだろうか?」

 インターネット世代の若者だ。高齢化がすすみ、講演会なども難しくなってきた中帰連のホームページを立ち上げて、ネット上でその活動を紹介した。また、バイクや車で日本全国を巡り、これまでに元兵士たち約120人から戦争証言を集めて、ビデオテープに録画した。経費のために200万円あった貯金はすべて切り崩し、今は夜間の障害者介助のアルバイトをして「糊口をしのいでいる」と笑う。関心を抱いたら、とことん追求するタイプでもある。

 今年4月、中帰連は最後の大会を開いて解散したが、それと同時に中帰連の精神を受け継ぐ若者たちを中心とした「撫順の奇跡を受け継ぐ会」が正式に発足した。10代の青年から70代の前中帰連のメンバーまで、会員は約380人。その初代事務局長に就任した。

 「『死んだら地獄に落ちて、罪をあがなうのだ』『いや、この償いは死んでも続くのだ』というじいちゃんたち。日本兵は本当に残酷なことをしましたが、彼らが苦悩し反省し、教訓を伝えていこうとする誠実な姿は、人として心打たれた。これからは僕たちがそれを学んで、伝えていく番です」

 老人たちの生涯をかけた闘いが、孫の世代に受け継がれている。 (写真 取材構成・小林さゆり)(2002年9月号より)