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幼い虎の身体検査をしているところ |
1999年8月30日、ハルビンの「東北虎野生繁殖育成訓練基地」で、虎治療の名医・劉文良さんが、3歳のメス虎「小美人」の腫れ物を取り除く手術を行った。手術開始から一時間ほど経った頃、「小美人」は突然低くうめき声を上げ、激しく跳び上がった。その瞬間、5人の助手は震え上がり、逃げ出してしまった。そして麻酔をかけ直した後、恐々としながら手術を終わらせた。
当時の話題になると、劉さんは、今でもぞっとするという。しかし、虎への愛情は今も当時も変わらない。彼は、虎治療に身を投じた1997年以来、150頭以上の虎を救ってきた。
もともと普通の外科医だった劉文良さんと虎との縁は、全くの偶然で結ばれた。
1997年、中国ネコ科動物繁殖育成センターの創始者で、野生基地の主任でもあった劉マ晨さんが、病気で近くの軍病院に入院した。その主治医だったのが、虎年生まれで、虎に対して特別な感情を持っていた劉文良さんだった。彼はたびたび劉マ晨さんの病室に足を運び、東北虎の応急手当の方法や繁殖状況などについての話を聞いた。
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中国初の帝王切開に成功した虎の体調をチェックする劉文良さん |
虎は、300万年前から生きてきた古い種で、非常に希少な動物でもある。1996年初め、繁殖育成センターは、虎の繁殖育成のため、ハルビン北郊外の約1平方キロの土地に、世界最大、中国唯一の「東北虎野生繁殖育成訓練基地」を設立した。そして、虎の野外生活に必要な能力を高めるため、繁殖育成センターの優良な東北虎30頭を放った。しかし、虎治療専門の獣医や十分な治療設備を擁していなかったため、よく病気にかかったり、縄張り争いやメス虎争奪合戦で攻撃し合ったりした。
この状況を耳にした劉文良さんは、治療を受けられずに死んでいく虎たちに心が痛んだ。そこで、彼は余暇を使って虎治療の知識を身に付けようと決心した。
何事も最初の一歩が難しい。虎との付き合いは、まさにその通りだった。虎には、言葉が通じないだけでなく、近寄ることもできない。そこで劉文良さんは、まず虎の習性を観察することにした。余暇を利用して、何度も20キロ離れた野生基地へ通い、虎の寝起き、食事、交配、授乳、捕食などの細かい行動を観察し、虎の生理的特徴と生活習性を研究し、そこから虎が怪我をする要因を導き出した。
彼は、虎と人間には多くの共通点があり、治療に際し、生理学や病理生理学などの基本理論にのっとることができると考え、「人間と虎のかかる病気は同じである」との結論を出した。
1997年秋、数頭の虎が皮膚病にかかり、すぐに12頭に伝染してしまった。基地の人は、クリゼオフルビンを飲ませたが効き目はなく、2頭が死んでしまった。劉文良さんは、「人間と虎のかかる病気は同じである」との理論に基づき、屍体解剖と化学検査を行った。その結果、虎がかかったのは、人間と同じカイセンダニという病気であることがわかった。そこで、毎日虎に点滴し、合わせてエサに肝機能を高める漢方薬を混ぜて食べさせた。間もなく、10頭の虎は全快した。
劉文良さんは、20年近い臨床経験に基づき、虎の腫瘍、外傷、消化、皮膚などの疾病治療や幼い虎の応急処置などについて、20余種の治療ガイドを作った。それらは応用性も高く、よく見られる疾病の治療に十分対応できる。
虎治療の理論をさらに深めるため、劉文良さんは、たびたび図書館に出かけ、関連書籍を調べ、約3万字をノートした。また、『中国獣医』『中国獣医科学技術』など9種類の雑誌を購読している。その他、ハルビンにある東北林業大学所属の野生動物資源管理学院、中国で最も権威のある獣類研究所などに足を運び、専門家の教えを請い、治療でぶつかった様々な問題を解決していった。
虎に近づくことは、いつでも命の危険と隣り合わせだ。また、野生基地の虎は、すべて国の重点保護動物のため、虎の主治医の責任は非常に大きい。自分の理論を検証するため、劉文良さんは、虎治療の進歩を妨げるすべての障害を排除して大胆に実験していく決心をした。
1998年初め、一歳に満たないオス虎の腹部に腫れ物ができはじめ、2カ月後には直径40センチにまで大きくなった。虎は毎日だるそうで元気がなく、ずっと地に伏せたままで、のちに動かなくなった。劉文良さんは、虎小屋特有の生臭いにおいに耐えて、檻の外から虎に触れながら観察し、おそらく嚢腫だろうと診断を下した。翌日、腹部超音波検査によって、悪性腫瘍ではないことを確認し、手術で切除することを決定した。
彼は、初めて虎にメスを入れたため、飼育係の意見も聞き、手術の細部まで事前に慎重に準備した。もし初めての手術に失敗すれば、のちの虎治療の継続にも、中国の野生動物保護事業にも悪影響を及ぼすだろうと考えた。
当時、野生基地に資金はなく、手術室を作る費用だけでなく、手術台や手術器具の購入代も捻出できないありさまだった。そこで劉文良さんは、野生基地の医務室に場所を作り、みんなで力を合わせて木で手術台を造った。メスや針、糸、薬品などは、身銭を切って購入した。手術の前には、プレッシャーを和らげるため、手術関係者に動物手術のビデオを見せた。
5日にわたる準備を経て、いよいよ手術が始まった。動物麻酔は、専門家の梅全林教授の指導のもとで行われた。虎に麻酔をかけると、数分で効果が現れた。劉文良さんが、慎重に腹部に第一刀を入れた時、虎は軽くけいれんを起こした。劉さんや助手たちはドキッとしたが、心を静めて再度麻酔をかけ、手術を続けた。手術が終わりに近づいた頃、虎の血圧と心拍に異常が出た。検査をしたところ、原因は、全身麻酔のため自主排尿ができなくなっていたことだった。
手術は約3時間に及び、ついに重さ4キロ、バスケットボール大の腫瘍の摘出に成功した。最後のひと針を縫い終わると、劉文良さんはほっと息をつき、「終わった」とつぶやいた。その瞬間、みんなは彼に抱きついた。
現在、野生基地の虎の総数は200余頭に達した。劉文良さんに、虎治療の事例をいくつか紹介してもらった。
――最も時間の掛かった手術。それは、管理番号H08の虎の腹膜後結核の手術だった。腹部を切開してはじめて、胃腸などの内臓が癒着し、大きな塊になっていることがわかった。ちょっとした不注意が取り返しのつかないミスにつながる恐れがあり、それを防ぐために各器官を一つひとつはがしていくしかなく、手術は、7時間以上かかった。
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胃腸手術を終え、縫合をしている劉文良さん(右端)ら |
――最も複雑な手術。それは、瀋陽動物園の東北虎の開頭術で、硬膜外血腫を除去した。手術した虎は、その後すでに4年以上生存している。
――最も精密さを要した手術。それは、2001年、野生基地の管理番号174の虎に対して行った白内障手術だった。もともと数センチ先しか見えなかった視力が、手術後には完全に回復した。
――最も心残りな手術。それは、重傷を負ったメス虎を救うことができなかった手術だった。
2000年冬の虎の交配期、あるメス虎はオス虎の求愛を拒絶したため、4本の肋骨を噛み切られ、胸もえぐられ重傷を負った。縫合手術には成功したが、感染症で死に至った。
――最も経験不足を痛感した治療。それは、静脈点滴の不手際だった。繰り返し輸液チューブを点検し、針を交換し、さらに針の差し込み部位も変更したが、それでも静脈点滴に成功しなかった。虎の血圧は下降の一途をたどり、心拍も速くなり、非常に危険な状態だった。よく検査してみると、その原因は、なんと足を強く縛りすぎたというものだった。(2002年11月号より)
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