|
きらきらと光りながら滴り落ちるように見える氷のツララは、まるでクラゲか、皇帝の冠につけられた珠の簾のように見える |
山西省の西北部、寧武県の県城から約50キロ離れたところにある春景窪郷に、海抜2300メートルの山があり、その山に万年雪ならぬ万年氷の珍しい洞窟がある。洞窟の外では、春夏秋冬、四季がはっきりと移って行くが、洞窟の中は厚い氷が長年溶けないままだ。とくに夏になると、山野一面が緑となり、花が咲き乱れるのに、洞窟内はまったく別世界で、非常に寒く、筍のような形をした氷筍が、洞内に林立する。
分厚い氷に覆われた洞窟の入口に少し近づいただけで、寒気が襲ってくる。洞に一歩足を踏み入れると、そこにはまったく別の、氷の世界が広がっている。洞内の温度は一年中、零下10度以下に保たれているという。どれほどの氷が洞内にあるのかは、いまのところ正確な数字はつかめていないが、膨大な量であることは確かだ。
この洞窟がどれだけ深いかは、測ることができない。これまでに開発されたのは、地下百余メートルに過ぎない。観ることができる場所は上下5層に分かれていて、幅の一番広い所は20余メートル、一番狭い所は十数メートルである。
一番上の層には周遊路が作られ、観光客が下の層に降りたり上がったりするのに便利なようになっている。洞内には木の板を敷いた道、上り下りするための梯子、桟道(絶壁に板を掛け渡した橋の道)、道の両側の手すりなどが設けられている。寒さのため、これらはすべて薄い氷が張っている。
|
洞内にある氷の大瀑布は10メートルを超す
|
洞内の地形は奇怪かつ複雑で、観光客は何度も氷の穴を潜ったり、氷の張った梯子を降りたり、桟道を渡ったりしなければならない。氷は蛍光灯などの低温の明かりに照らされ、さまざまな姿で観光客の前に現れる。氷の柱、氷の簾、氷の滝、氷の筍、氷の花、氷の鐘、氷の仏、氷の獣、氷の人……。とくにベッドのような形をした氷床は、それが形成された地質年代によって断面の色彩がはっきり区別できる。まるで言わず語らずに、これまで経てきた時代の移り変わりを示しているかのようだ。
これは、これまでに永久凍土層以外で発見された、きわめて珍しい大氷洞である。中国科学院地質研究所の専門家の鑑定によれば、この氷洞はいまから300万年以上前の新生代の第4氷河期に形成されたものである。科学者たちは、氷洞の周囲の環境が、自然の冷蔵庫のような機能を果たしたため、洞内の氷は深い所ほど厚くなった、と推測している。もっとも不思議なのは、この氷洞とわずか200メートルしか離れていないところの地下に、自然発火してずっと燃え続けている異常に熱い石炭層があり、これが氷洞と共存していることだ。こうした自然現象は、きわめて珍しく、いまだにその大自然の謎は解けていない。
地元の人たちはずっと前からこの氷洞の存在を知っていた。とくに旱魃の年には、この洞の中から氷を切り出し、それを溶かして水にし、農作物にかけた。しかし洞の深さがどれだけあるかわからないため、みな怖がって、敢えて奥に入る人はいなかった。
1995年、寧武県はここを観光開発することにした。しかし、氷洞の探検には不測の事態も予想されたため、県旅遊局の局長だった尹懐玉さんは、自分ひとりで洞内に降り、探検すると決めた。そして事前に「私は観光事業を愛しているので、自ら進んで氷洞の探検を行う。万が一、不測の事態が起こっても、政府や他の人とはまったく関係がなく、すべての責任は自分にある」という誓約書を書いた。そのうえで尹さんは、懐中電灯を持ち、太い縄を腰に結んで、みなに見守られながら氷洞に降りて行ったのである。
|
洞内には色鮮やかな氷が固まっていて、歴史の長さを感じさせる |
尹さんは死ななかった。それどころか、氷洞内のいたるところで氷の柱や氷の簾、氷の花などを見つけた。こうして氷洞内の神秘のベールがはがされ、その美しさを人々が楽しむことができるようになったのである。
その後も尹さんは百回以上も洞内に降り、何度も詳しく観察・研究した結果、洞内の氷は春には増加し、夏、秋、冬には減少するという周期的な季節変動を繰り返していることがわかった。1996年、尹さんは皆を率いて、氷洞の開発工事を始めた。しかし当初、資金は乏しく、自然条件も厳しかったため、使える道具は木の梯子と太い縄、竹かごしかなかった。このため、工事は厳しかったが、数年間がんばった結果、洞窟の入口に広くて明るいホールが完成し、観光客が洞内を観光できるようになった。
氷洞のあるあたり一帯は風光明媚で、蘆芽山森林公園、天池などの国家レベルの自然景観があり、そのほかにも数多くの古い寺や廟をつなぐ桟道、断崖に置かれた「懸棺」という棺桶群などの歴史的景観がある。このためますます多くの国内外の観光者をひきつけている。(2002年11月号より)
|