北京京劇院の『三国志演義・竜鳳呈祥』の公演のため、日本に里帰りしていた石山雄太さんに会った。彼は、外国人初のプロ京劇俳優である。
石山さんは小学生の時、テレビ番組で京劇を偶然目にした。それは山東省京劇院の白雲明さんが主演した孫悟空の劇『孫悟空大あばれ』で、すぐにその場に釘づけになった。数日後でも、歌あり踊りありのシーンや、孫悟空の生き生きとした姿が、脳裏から離れなかった。これをきっかけに、石山さんは胸に将来の目標を立てた。「京劇俳優になろう」と。
京劇が好きだったのか、孫悟空が好きだったのか。まだ小さかった石山さんにはよくわかっていなかった。ただ、京劇と孫悟空のイメージは、一つに重なっていた。
石山さんは個性的な子どもだった。一度決めたら、その道を突き進む。京劇と出会った時から、彼は近所に住んでいた中国人に中国語を学び始めた。放課後には毎日、必ず京劇研究会へ京劇を観に行った。そして中学卒業後、中国語課程のある関東国際高校に入学した。
1993年、同高校を卒業した石山さんは、単身で北京に乗り込んだ。そして、中国戯曲学院付属中学(高等部)の入学試験に合格し、正規の京劇教育を受け始めた。四年後には、中国戯曲学院に入学、京劇を専攻した。
大学入学後、指導教師は、学生の特徴に応じた役柄を決定したが、石山さんが与えられた役柄は、道化役だった。これを縁と言わずに何と言えるだろうか。石山さんは、京劇の世界だけでなく、孫悟空や石遷(『水滸伝』の登場人物)など、彼が小さい頃から好きだった人物の世界にも踏み入ったのだ。
同学院は寄宿制の大学で、教育、生活ともに規律を重んじている。毎朝6時に起床し、朝食前に近くの公園でボイストレーニング。それから一日中、勉強と集団げいこを行う。道化役の基礎技術の一つに、逆立ちがある。練習では45分間、逆立ちで静止していなくてはならない。それは容易なことではなく、汗だけでなく、練習をはじめたばかりの頃には、鼻血が出たことさえあった。
この他にも、ストーリーの理解、劇中人物の内面描写、京劇独特の技巧など、勉強しなければならない難しいことは数え切れなかった。
中国での高校四年間と大学4年間の生活で、「梨園(演劇界)は苦しい世界」という現実を身をもって体験した。しかし石山さんは、その楽しさも味わった。「意地っ張りでいたずら好きな私には、中国の伝統的な教育が向いているんです」と笑う。そして、8年の鍛錬の結果、幼い時の夢は実現した。
中国京劇院のプロ俳優になった石山さんは、将来についてこう言う。「まずは俳優として中国の観衆に認めてもらいたい。京劇は一生の選択。京劇に対する思いは、すでに『好き』という言葉だけでは表わせないものになりました」
石山さんが演じた役は少なくない。『三岔口』の劉利華、『オイ馬』(馬を阻む)の焦光普、『孫悟空大あばれ』の孫悟空、そして日本公演では、樊虎という新しい役を演じた。
道化役は、中国語では「丑角」と言う。「丑」とは醜いの意味だが、石山さんは、「『丑角』は醜くはありません。『丑角』は役柄の一つであり、『丑』という文字を単純に理解するだけではいけないと思います。さもなければ、演技も乱れてしまいます」と話す。
公演が始まり、二胡の伴奏は、観衆を別世界へいざなった。物語が進み、石山さん演じる樊虎が登場した。彼の口からは、京劇特有のセリフがもれ、満場の喝采を浴びた。彼は、日本でも、京劇舞台に立った。(取材 構成・東京支局 張哲)(2002年11月号より)
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