■生活走筆
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豊かな暮らし多様な答案
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黄秀芳 |
少し古い話題になってしまいますが、ぜひお話ししてみたいことがあります。 中国では毎年7月に全国統一の大学入試が行われ、そこで出題される小論文のテーマがいつも話題になります。昨年のテーマはとりわけ意表を突くものだったので、盛んな議論が交わされました。 問題用紙には、まず次のような文章が書かれていました。 「斬新なアイデアや発想を推奨するための講演会で、壇上に立った学者が参加者にこんな質問を投げかけた。『ここに円形、三角形、半円形、そして非対称の図形があります。さて、この四つの図形のうち、ほかの三つと性質が異なるのはどれですか』。すると、ある人は『円形だけは角がない』と答え、ある人は『直線だけでできているのは三角形しかない』と言った。別の人は『半円形だけが直線と曲線でできている』と言い、さらには『四つ目の図形だけが非対称だ』と言う人もいた。彼らの答えは、ものを見る基準と視点がそれぞれ異なっているだけで、いずれも正解である」 受験生たちはこの文章を読んだ上で、「答えは豊かで多様である」というテーマについて自分の意見を自由に論述したのです。 試験の翌日、新聞などで試験問題が公表されるやいなや、この小論文のテーマをめぐる論争がまき起こりました。「この問題の答えも多様であっていいはず。答案の優劣を決める統一的な基準は一体どこにあるのか」と批判的な人もいましたが、私はこの出題を見て嬉しく思いました。中国教育界の指導者たちも、「答えは豊かで多様である」という意識を持つようになったのだと感じたからです。 答えは豊かで多様である――。特に日々の暮らしの中で私たちが遭遇する問題には、色々な答えがあります。こんな言い方をすると、読者の皆さんは「当たり前のことを随分大げさに取り上げるものだ」と、滑稽に思われるかも知れません。しかし残念なことに、かつて私たちはその当たり前のことを知らず、長い時間と努力の末にようやく理解するようになったのです。私も人生のうちの三分の一以上をこの道理を知らぬまま過ごしてきました。 一つの例として、私たちが幼いころに抱いていた夢についてお話ししましょう。当時の先生たちも国語の授業では、「大人になったら何になる」「私の夢」といったテーマの作文を好んで私たちに書かせました。そんなとき、クラスメートのほとんどは「兵士になって祖国を守るために身を捧げたい」とか、「労働者として祖国の建設事業に力を尽くしたい」といった夢を原稿用紙につづりました。 もし、みんなが本当に心の底からそう思っていたならまだ良かったのですが、実際はそうではありませんでした。子どもたちも分かっていたのです。そういう夢を持っていなければ、先生から「革命的な理想が欠如している」と批判されることを。そんな不名誉な烙印を押されることを望む子は一人もいませんでした。革命こそが物事を判断する唯一の価値基準だったあの時代、意識的であったかどうかは別にして、誰もがその基準に沿って答えを出していました。つまり、当時は「答えはひとつしかない」時代だったのです。 先日、日本人の友人と幼いころの夢について話した時、私は「兵士になりたいと思っていたんです」と言いました。すると彼は「女の子なのに、どうして兵士になろうなんて思ったの」と笑い出しました。彼は私が冗談を言っていると思ったのかも知れません。しかし、私はその頃、兵士という職業を神聖なものと考え、真剣に兵士になりたいと思っていたのです。最近は社長やオーナー、外資系企業の社員などが人気のようですが、当時はそんなことを考える人は一人もいませんでした。まして外国への移住など、とんでもない話です。そんなことを考えていたら、外国と通謀する反革命分子と言われたのですから! そうした単一的な価値基準は、人々の考え方だけでなく、生活そのものをも限定しました。例えば、高校生が着る服と言えば、当時は紺色か軍服のような緑色のものしか思い浮かびませんでした。もちろんスカートではなく、すべてパンツです。今、当時を振り返って不思議に思うのは、14、15の女の子が、そうした服をとてもおしゃれだと思っていたことです。どこを見渡しても黒や白、グレー、紺、緑ばかりという時代の中で、紺や緑はそれでも気のきいた色だったのかも知れません。生活の基準やものを見る角度は一つしかないという観念は、子どもたちの心にそれほど深く根を下ろしていました。当時の社会全体の意識がそうだったわけですから、教師たちも当然のようにそれに従って子どもたちを教育していたのです。 もちろん、そんな世間の風潮を気にせず超然としている人たちもいました。しかし、独立不羈の精神の持ち主たちは、往々にして不幸な目に遭いました。 そんな生活は1978年、『光明日報』に「実践は真理を検証する唯一の基準である」という文章が掲載されるまで続きました。まさに中国が改革開放の時代に入ろうとする時期のことで、この文章は国の隅々にまで大きな衝撃を与えました。私が「自分の頭は自分でものを考えるためにあるのだ」と知ったのも、それ以降のことだったのです。 昨年、大学入試の問題が公表された後で、「大学入試小論文パロディー」というのを作った人がいます。 「あなたはどんなタイプの女の子が好きですか?」「僕の答えは豊かで多様。林青霞みたいに整った美人も好きだし、関之琳のゾクッとするような色気も捨てがたい。張曼玉のような飽きのこない美しさもいいね」(注) これには思わず、笑ってしまいました。 中国では小論文の優秀な答案も新聞に掲載されます。それを見ながら私は、しみじみと思いました。最近の若者たちの心と頭脳は、なんて豊かな創造力とイマジネーションに満ちているんだろう、と。これも彼らが「暮らしは豊かで多彩」と言える時代を生きているからなのでしょう。私には、このことがとても嬉しく感じられるのです。(2001年1月号より) (注)林青霞、関之琳、張曼玉はいずれも中国で人気の女優。 |