■生活走筆
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雷鋒のように温かく
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黄秀芳 |
私はかつて、小さなバッチを持っていました。長方形で、金色の地に赤い文字で「為人民服務」(人民に奉仕する)と刻まれていました。毛沢東主席の筆跡です。現在30歳以上の中国の人たちは、ほとんどが持っているでしょう。しかも一人一枚にはとどまりません。何枚もあるはずです。バッチがこれほど普及したのは、全国民が「為人民服務」の思想を抱くよう、国が呼びかけたからです。それで皆がバッチを胸につけたほか、学校や工場、機関など多くの場所でこの文字を見ることができたのです。 「為人民服務」は、「どんな仕事であっても、人民のために奉仕する。人に対して、親しみやすく和やかに、真心を持って接するように……」といった意味合いです。こんにちの「敬業」(勤労)精神に似ているかもしれません。しかし当時は敬業という言葉も精神もありませんでした。「為人民服務」は、いわば革命のためのスローガンだったのです。 残念なことに当時の私は、このような奉仕を受けたことがありませんでした。例えば、商店へ買い物に行ったとしましょう。物が不足しがちな時代です。一目で気に入るものがなく、それでも諦めきれずに目を皿にして選ぶのです。するとほとんどの場合は、店員に白い目で見られ「お金がないのなら、来なくていいよ!」とあしらわれるのが関の山でした。しかし今は違います。買いたい衣服が決まった後でも、にこやかな店員が寄ってきて「どうぞご試着ください。お気に召さなくても構いませんから」とサービス満点なのです。書店に行くと、以前は書架から1、2メートルも離れたカウンターの外から、目を細めたり、つま先立ちになったり、精一杯体を伸ばしたりしても、本のタイトルがよく読み取れませんでした。それが今や書架は開放され、本は自由に手に取って選ぶことができます。小遣いを節約したい時などは、立ち読みして済ませることも。さらに想像しがたいことには、電話一本で欲しい本を届けてくれるシステムすらあるのです。 当時でも、まったく例外がなかったわけではありません。本当の意味で人民に奉仕した人がいます。例えば、公務のために殉職した解放軍兵士の雷鋒(1962年没)。二十余歳の短い人生ながら、人々に愛とやさしさを分け与えてくれました。彼の有名な言葉に「同志には春のように温かく接しよう」というのがあります。思いやりの大切さを訴えた、名言だと思います。殉職後は国の指導者たちが「雷鋒同志に学ぼう」と提唱し、彼の精神が中国人の道徳規範とされました。 しかし「為人民服務」や「雷鋒同志に学ぼう」と唱えてみたところで、計画経済時代は必ずしも理想的な社会が実現したわけではありませんでした。90年代に入り、市場経済の体制が整えられて初めて競争原理がはたらき、人々の積極性が促されて、奉仕の精神が一部実現したのです。 それにしても、なぜ人は同じなのに、体制が異なると別の顔を持つのでしょうか? ある晩、たまたま中国の思想書『韓非子』を読み、目からウロコが落ちた思いになりました。戦国時代末期、韓の国の公子でありながら不遇な生涯を送った思想家・韓非が言うことには「人みな利を追うものなり」と。例えば御者の王良は馬を愛で、越王勾践は民を慈しみましたが、それは馬をさらに速く走らせ、民をさらに勇敢に戦わせるためでした。医者が病を治すのは、情からではなく利益を得るためです。馬車を造る者は、客が豊かになることを望み、棺を造る者は人の早世を望みます。善か悪かの問題ではなく、みな利を得るためなのです。利他はもともと利己だとも言えます。所得を増やすために支出をする。これが人の本性なのです。二千年以上も前の人が、人間の本性を鋭く見ぬいていたのです。 では現代が、すべて計画経済時代に戻ったとしたらどうでしょう。デパートの店員に、親切で善良な態度やもうけとは無関係の姿勢を望むことができるでしょうか? ましてや、客に奉仕しなくても給料の保証があるのだとしたら、手厚くもてなしたり、微笑んだりする必要があるでしょうか? それは私に、ふと日本の国鉄民営化を思い起こさせます。四年前に日本を訪問した時のこと。ある日本通の同行者が言いました。「日本には以前、国営鉄道がありましたが、経営状態やサービス面で私鉄の業績には及びませんでした。それでJRとして民営化したのですが、その後はだいぶ好転したそうです」 利己的な部分がまったくなければ人に奉仕するのは難しい、その典型的なケースではないでしょうか。中国は、78年末から22年をかけて、それまで約30年間に及んだ計画経済体制の改革を行いました。喜ばしいことには、人はついに「実事求是」(現実の中で真理を追求する)で、自分の本性を肯定したのです。と同時に、人にはある種の醜さがあることにも気づきました。時としてガラリと態度を変えたり、拝金主義に走ったりという利己的な醜さです。こうして私自身が(利己的に)、人に対してかなり難癖をつけているようです。しかし私が本当に望んでいるのは、雷鋒の言葉にならえば、春のように温かな社会のあり方なのです。 (2001年5月号より) |