■生活走筆
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ハイテクにからかわれ
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黄秀芳 |
急速な進歩を遂げるハイテクノロジー(高度先端技術)。それを使うことについては、私はどうやら「保守派」に属するようです。例えば、コンピューターの利用一つを取ってもそう、保守的なのかもしれません。 コンピューターは五、六年前に使い始めました。が、インターネットはようやく去年の夏に始めたところです。その後、必要な情報のリサーチやEメールのやりとり以外は、別の利用法はもうありませんでした。人々のように楽しそうにチャットでおしゃべりしたり、掲示板に書き込んだり、というのには関心がなかったのです。なぜなら、第一に時間がなかった、第二にそうした方法を交流として認めたくなかった、第三にふんぎりがつかなかった――からです。こんな私は、自分がまさに「前世紀人」だと自覚しています。人とつきあう時には直接、声を聞いたり話したり、表情をうかがったり、心のうちを察したり、というのが好きなのです。電話だっていいでしょう。相手は見えませんが、声は聞くことはできます。受話器から様々なトーンを聞き分けることができるのです。 しかし、インターネットでの会話は、まったくそうではありません。本当の名前や性別や感情など、必要なら何でも互いに隠すことができます。好き勝手に筆談した後、うっかり信じ込んで、からかわれる人が出てきます。それで被害者ニュースが毎日のように、新聞紙面を賑わせているのです。例えば、チャットでよく話す二人が実際に会ってみると、男が女で、老人が子どもだった、なんてことがあるように、美女が本当は妖怪であるかもしれないのです。これはいささか誇張のし過ぎですが……。 人にからかわれるのは嫌なことです。しかし多くの人はそれを恐れないばかりか、からかいのテクニックをさらに上げているようです。最近、はやりの新しい現象に「インターネット結婚」があります。それはネット上で「配偶者」を見つけ、二人の結婚を宣誓して、その後「夫婦生活」を送るという虚構のゲームです。二月十四日のバレンタイン・デーには、恋愛サイト「婚姻登記処」への登録が一日で満杯になり、結婚を誓った「成功例」も平均して十秒に一組の速さで更新されました。計算してみると、このサイトだけでも一日二十四時間に、九千組近くの利用者が結婚したことになります。 実はインターネット結婚がどういうものなのか、まだよくわかっていなかった頃、二月十七日付のある新聞が私のような者のためにそれを解説していました。北京の某大学三年生の朋さんは、インターネットである十七歳の女性と知り合い、「ネット恋愛」を始めました。一カ月後、二人は恋愛サイトに「結婚」を登録するとともに、ネット上に共同のホームページの「家庭」を築き上げました。そこには、住宅の間取りやインテリアの紹介だけでなく、毎日の献立や、さらにはなんと想像上の夫婦生活の描写まであったのです。三週間後、恋愛サイトは朋さん「夫人」の「おめでた」を報告しました。彼はもう大喜びです。マタニティーブックを一日じゅう読みふけり、六週間後の「赤ちゃん」誕生では、興奮して夜も眠れないほどでした。ところが十五週間後、「母子」が突然、重病にかかり、朋さんはすっかり意気消沈しました。十八週目、恋愛サイトは無情にも伝えました。医師の懸命の治療もむなしく、「母子」ともに息をひきとったと! こうして約半年にわたった喜劇は幕を閉じました。しかしこのドラマに熱中し過ぎた朋さんは、ショックのあまり寝込んでしまいました。不登校になったあげくに、ネット上に墓地までつくり、彼の「妻子」を追悼したというのです。 インターネットの長所は虚構性だ、とある人は言います。十分に想像力を発揮できるし、現実にはありえないような楽しみ方を得たり、発信することができると。またある人は、インターネットは人づきあいの距離を短縮し、その形式を変えた、といいます。それらは実に聞こえがいいのですが、私にはやはりのめり込めません。なぜなら、見落としてはならない重大な事実を発見したからです。それは直接的であれ間接的であれ、インターネットは堂々と欺瞞の進行を促す媒体である、ということです。 現実生活には、確かに欺瞞的な行いもあります。しかし世間は狭いのです。ウソはやがてあばかれる日がくるでしょう。ネット上のつきあいはまた、「話はすれども姿は見えず」という、互いに隠れ蓑を着た姿を彷彿させます。こんなつきあい方に安心ができるでしょうか? できないから仕方なく事実を明らかにしないのです。朋さんの不幸は、彼がゲームだというルールを忘れて、真に受けたことにあります。虚構サイトが持つ「長期に暗示をかけ、深く誘導する」性質により、うつ病になってしまったのです。医者が言うには、元は虚構でも「重症であれば、自殺まで追い詰めることもある」そうです。 テクノロジーを発明し、創造した源はすべて人類の幸せのためだった、と私は信じています。しかし人はいつも誤った道に導かれるようです。まるで今、世界じゅうが議論している遺伝子組み換え研究のように、発想はすばらしいのですが、実はかなり恐ろしいことでもあります。バイオテクノロジーの進歩を示すものとして先ごろ、人間の耳が背中に生えたネズミが公開されましたが、いつかその逆に、人間の体にネズミの耳が生えてきたとしたら……。考えただけでも恐ろしい科学の進歩ですが、その時こそ、私も人をからかうようになるのでしょうか。 (2001年6月号より) |