■生活走筆
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ポップスのコンサートで
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黄秀芳 |
5月27日、北京工人体育場(スタジアム)に特別な夜がやってきました。一カ月ほど前からマスコミがこぞって報じた「五・二七コンサート」が、ついに開かれたからです。 台湾と香港、大陸の歌手が一堂に会したこのコンサートは、香港の李宗盛と台湾の周華健、羅大佑など中国のポップス界のスターたちが共演したことで、とくに話題となりました。なかでも羅大佑の歌は、中国大陸にポップスがあらわれた二十年あまり前、テレサ・テンの歌をのぞけば一番多く歌われていました。人生や社会への思いを深く表現した歌で、世代を超えた人々の心の支えとなったのです。その羅大佑の姿を一目見ようという、ファンの熱狂ぶりも当然のことといえました。 スタジアムは、五万人の人々でいっぱいとなりました。高台のシートに座り、会場全体を見回すと、ペンライトを振る人の海が見え、会場の真ん中には上映装置や大きなスクリーンがあって、コンサートのはじまりを静かに待つかのようでした。空がだんだんと暗くなり、スタジアムの回りにそびえ立つ高層ビルのネオンが輝き出しました。 そのなかに身を置いた私はふと、子供のころに見た、無料の野外映画を思い出しました。それは「文化大革命」時代の中国人にとって、かけがえのない娯楽だったのです。当時は全国でも映画が少なかったので、同じものが何度も上映されました。しかし、それでも週末の上映日になると、人々はまるでお祭り気分で早々と夕食をすませ、携帯用の腰掛けをもって会場へ出かけ、首を長くして上映時間を待ったのです。子どもたちは空き地をかけ回り、大人たちは三々五々かたまっては、世間話に興じました。映画がスクリーンに映し出されると、会場は水を打ったようにシンとなり、すでにセリフが暗誦できるほど何度も見た映画に、全神経を集中させたものでした……。 我にかえると七時四十分、大陸の人気歌手である林依輪が登場しました。音響効果が悪かったので、彼の歌声はほとんど聞こえませんでした。三曲目が終わると、観客はとうとう我慢できなくなり、「聞こえない!」というブーイングが「出て行け!」というシュプレヒコールに変わりました。そして、次に登場した歌手も同じ「冷遇」を受けたのです。騒いでもしかたがないと、会場をうろつき回る観客すら出はじめました。上映装置の前を通る観客の影は、スクリーンの歌手の姿をさえぎって、とてもおかしく見えました。前の席に座っていた若いカップルは、最初はたがいに写真を撮り合っていましたが、のちに男性が女性の髪にペンライトをかざしたので、ホタルのように見えました。 ところが、です。周華健はじめ台湾、香港の歌手の登場で、騒がしかった会場がいっせいに拍手や歓声に包まれたのです。よく知られるメロディーが流れるたびに、数万人がそれに合わせて歌いました。まるで、マグマが噴き出すような勢いでした。 私は、観客のあまりの奔放な態度とその急変ぶりに、開いた口がふさがりませんでした。気に入らなくても物事を全面的にうけいれる昔の中国人に対して、いまの中国人は相手によって、冷酷に「退場」をいいわたす場合もあれば、無条件に熱狂的な愛をささげる場合もあります。それは、この間の変化を知る人間からすれば、改革・開放を通して、中国人の自主的な意識がよびさまされたといえなくもありません。 数日後、「乱暴でマナーに欠けた観衆」と指摘する記事が、新聞に掲載されました。しかし、あるいはその記者は、すっかり忘れてしまったのだろうと思うにいたりました。入場料をとったのに、歌を聞かせられなかった主催者側のミスを。そしてかつての中国人が自分で選ぶ権利もなく、野外映画しか見られなかった時代を……。(2001年9月号より) |