■生活走筆

変わるもの、変わらないもの

                                         黄秀芳
 

 ある日本の友人が、感嘆して言ったことがあります。「中国へは何度も来たが、この十数年の変貌ぶりには驚かされる」と。私は同感しましたが、ちょっと考えさせられました。こうした変化はたぶん北京だけでなく、他の都市でも同じだと思います。

 8月の夏休みに、帰郷してきました。二年半ほど帰らなかったので、「天地がひっくり返るほど」変わったと言うと大げさですが、やはり故郷にも変化の波はおしよせていました。以前とは街のようすが違うので、外出時には、適当なバスの路線や行く先の目印になる建物を尋ね、安心してからようやく出発したほどです。

 変化は、現代人の生活レベルにもハッキリと現れます。帰郷すると中学の同級会が開かれますが、いつも彼らの変わりようには目を見張り、「隔世の感」を覚えるのです。たとえば今回も、帰郷後すぐに親友の陳文さんに電話をしましたが、なんの応答もありませんでした。それは彼女が、また転居していたからです。当然ながら、住まいは一層大きく立派になりました。「何年かしたら、今度は郊外に別荘を買うの。それで満足すると思うわ」と彼女。その飄々とした話しぶりに、私は息をのみました。どう見ても、彼女は私が抱く「貴婦人」とは程遠いイメージなのです。同級生はその多くが自分の会社を持ち、マイホームや自家用車を手に入れることに躍起になっていました。とくに印象深かったのは、前回(1999年)の同級会の後、ある同級生が自分のマイクロバスで送ってくれたのですが、今回はそれが高級な乗用車に変わっていたことです。

 「変化は、みなぎる活力の象徴だ」と人は言います。たしかに中国経済は何年ものスピード発展を続け、それに伴い人々の生活も向上してきました。しかし、豊かになった同級生と歓談するうち気がついたのは、私たちがずっと学生時代の思い出話に花を咲かせていたことです。それは何度でも繰り返す、変えようのない昔話でした。新しい話題といえばマイホームや自家用車、お金の話でしかなく、それは私にはしっくりきませんでした。彼らは一生懸命、生活を改善しようと努力していて、「豊かな生活を送る」のも決して悪いことではないと思います。しかし金もうけに走ると、かえって大切なものを見失うのではないでしょうか? 私もよく耳にしますが、ある金持ちは贅沢に暮らしながらも、どこか気力に失せ、生きがいをなくしているようです。

 一方で、変わらないものもあります。私の高校時代の国語の先生です。卒業してから20年余り、先生はほとんど変わっていません。娘さんが嫁いだあとは、あの小さな部屋二間に、先生と母親の二人が静かに暮らしています。帰郷のたびに、私は先生を訪ねます。先生に会うと、なぜか心が落ち着くのです。うるさい音を避けるため、先生の家には電話がありません。だから事前連絡は無用です。また、ほとんど外出しないので、留守の心配もありません。直接訪ねて門をたたけば、必ず返事が家の中から聞こえてきます。

 先生が変わらないのには、驚くばかりです。質素な家具や装飾品、そのすべてが初めて見たときとほぼ同じです。衣服もほとんど変わりません。すでに71歳とご高齢で痩せられましたが、その若々しい精神とやさしい笑顔は、昔のままです。私たちは向かい合って、木製のイスに座る。これも昔からのきまりです。

 先生は長年、ライフワークとして中国の現代作家・郁達夫の研究を続けています。すばらしい研究で、新作ができるたびに送ってくださり、感嘆しています。それで私は会えば必ず、新作の研究成果についてうかがいます。先生は私の最近の仕事についてや、文章を書き続けているかどうかを必ず問われます。これも変わらない話題です。先生は「もっと贅沢な食事でも食べ飽きるし、もっと大きな家でも寝るのはベット一つだけ。しかし文章は、人の心に永遠の財産を与えるのだ」と言います。世事にうとい「本の虫」だと見る人もいますが、先生は頭の回転が速く、その思考はまったく衰えを見せません。世の中は移り変わりますが、先生の生涯の知恵と経験に学ぶのは、とてもためになります。「歳月人を待たず。秀芳や、生活の舵をしっかりとるのだよ」。先生はそう、私に言い聞かせるのでした。

 私たちの間には、他にも20年以上続けているきまりがあります。訪ねるときには、私が手ぶらで行くこと。これは先生の意思に従っています。また別れるときには、先生が団地の出入り口まで見送ること。これは学生に対する先生の礼儀です。別れた後ふり返ると、ゆっくりと戻る先生の背中が見えました。やはり老いましたが、先生は今もしっかりと生活の舵をとっているのです。 (2001年11月号より)