富農でも貧農に転落する
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福州総医院は革命烈士の遺族である徐桂英さん(中央)のために募金し、彼女に白内障の手術を受けさせ、徐さんは目が見えるようになった | 2006年の春節(旧正月)、人々がみな、嬉々として大晦日を過ごしているころ、黒竜江省富裕県竜安橋村の農民、周景軍さん一家は、心配で眉をくもらせていた。4人家族の周さん一家は、かつては地元で有名な富農だった。しかし不幸なことに、3年前に一家の大黒柱の周さんが肺癌を患った。その治療のため、一家は財産を売ったり、人から金を借りたりした。かつては自家用車も請負耕作地も預金もあった豊かな生活から、借金ばかりの貧しい生活に変わってしまった。もし県政府の貧困対策の幹部が肉や米を贈ってくれなかったら、この春節を過ごせたかどうかわからない。
「救急車がサイレンを鳴らして来ると、家畜が1頭いなくなる。1回入院すると、1年の農作業が無駄になる。10年がかりで豊かになったのに、大病すれば一日で貧乏になる」と言われる。周さんが住んでいる地元の党委書記の姜昆さんは、貧困家庭の名簿を指しながら「人々がこう言うのはやや大袈裟だが、確かに、病気のために貧乏な生活に戻ってしまった農民は少なくない」と言った。
豊かな周さん1家さえ貧しくなったが、普通の農民ならどうなるのか。陝西省岐山県は経済が非常に遅れている中国西部地域にある。そこに住んでいる62歳の付俊俊さんは、胆石と気管支炎、肝膿腫を患ってもう4、5年になる。夫の梁文岳さんは「治したいとは思うけれど、実際は治せない。病状がこれ以上悪化しないなら、それでいい」と言った。梁さんの家計簿によると、2005年、農作業や養豚、豆腐づくりで稼いだ6000元のうち、3分の2は、医療費と薬代に消えた。
2006年の全国衛生サービス調査によれば、中国の農村の患者のうち3分の1は、診療を受けなければならないのに受けていない。45%は、入院してまだ完治していないのに退院を求められた。こうした現象が起こる原因は、農民の収入が低く、医療費が高く、医療保障制度が不完全なところにある。
1960、70年代には、「農村合作医療」(農村医療共済)という医療保障制度が農村で推し進められた。これは農民が自発的に資金を集めて医療基金をつくり、病気にかかった時、支払った医療費の一部が還付される制度である。しかし80年代以後は、農地が個人請負制になり、農村の集団経済は衰微し、農村医療共済制度も次第に消滅していった。
それから20余年、農民は9億人近くになった。国家の経済力にも、病院や医者などの「医療資源」にも限りがあった。政府は農民の医療問題を解決するうえで、明らかに十分な力量を発揮することができなかった。この農村医療保障制度の「空白期」に、農民は自分で医療費を支払わなければならず、多くの人は病気を恐れた。「病気になっても医者にかかれない」――これが農民の心に重くのしかかっていた。
農民の健康を守る傘
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臨夏州の貧困山地の病院で診察を受けている農民。甘粛省は2000年から「新型の農村医療共済」を試行して以来、102万人の農村の患者が救われた | 2003年、中国の国内総生産(GDP)が13兆元を突破した。農民が「病気になっても医者にかかれない」という困った状態から抜け出すのを助ける力を国は持った。中央と地方政府が主に投資し、農民も少し出資してつくられた「新型の農村医療共済制度」が、まず中西部地区の農村で試行された。これは「新農合」と呼ばれている。
2005年末、「新農合」は、梁さんの住む岐山県にも普及し、梁さんは試しに規定通り、家族全員が毎年1人10元を支払い、「新農合」に参加した。2006年初め、梁さんは妻を連れ病院へ行った。手術と30日の入院治療で、妻の病気はほぼ全快した。医療費は12000元かかったが、その半分は「新農合」が負担した。次第に健康を回復する妻を見ながら、梁さんは「『新農合』が家内の病気を治してくれた」と嬉しそうに言った。
2007年、国は101億元を出して、全面的にこの医療保障制度を推し広めた。「新農合」はだんだんに広がる大きな傘のように、ますます多くの農民を守るようになった。その年の9月末までに、全国で「新農合」ができた県(小さな市や区を含む)は2448、「新農合」に参加した人は7億2600万人に達し、農民人口の82%を占めた。受益者は累計で、延べ1億7000万人を超した。
2008年には、農民たちに「徳政」と呼ばれるこの制度は、全国すべての県(小さな市や区を含む)にほとんど普及することだろう。
「新農合」 |
「新型の農村医療共済制度」は、政府が組織し、指導し、支持し、農民が自ら進んで参加し、個人や集団、政府などから資金を調達し、主として病気の重さにより配分される農民の医療の相互共済制度である。
2003年、この制度は中西部の農村地域で試行され、2008年には全国の農村地域にほぼ普及する見込み。中央財政は毎年、「新農合」に参加する農民に、一人当たり10元の医療補助を出し、地方財政は毎年一人当たり少なくとも10元の補助を出さなければならない。農民は毎年、一人10元を払う。
「新農合」は、一方では病状の等級によって医療費用が還付される。病状が重ければ、還付される医療費は多くなる。これによって農民が、病気のため貧困に陥ることがないようにする。もう一方では、各地の具体的状況に応じて、還付金の最高限度額をそれぞれ定め、少数の病人が医療共済基金をすべて使い果たしてしまうのを防止している。
「新農合」の管理は厳しく、いかなる単位や個人も、基金を不法に流用することは厳しく禁止されている。農民の医療費の減免や還付の金額は、地元の取り扱い機構が審査した後、代理銀行が資金の決算業務を取り扱う。 |
都市住民も医療保険に
徐雅卿さんは上海市虹口区に住む定年退職した労働者である。体調の悪い彼女は、毎週、「社区」(コミュニティー)の衛生サービスセンターで診察を受け、薬を買う。2007年2月、徐さんはもともと診療受付で支払う7元がもういらなくなり、常用している薬品の値段も10%下がったことを知った。
上海市政府は2月1日から、市民が衛生サービスセンターで診療を受けた場合、診察費を減免できる、と定めたのである。この年の11月までに、全市の228の衛生サービスセンターで減免された診察費は、1億元以上に達した。上海市と同様に、昆明や青島などの都市でもこの種のサービスが行なわれている。
都市にある衛生サービスセンターの発展は、多くの市民、とくに低所得者層にとって、近くで病気を診てもらえるし、薬代も安いので、時間と金が節約できる。2006年から現在までに、全国278の都市に、23000の「社区」の衛生機構と26万人の社区の医師、看護師で構成された「社区衛生サービスネット」が設立された。これによって「小さい病気なら衛生サービスセンターへ行き、大きい病気なら病院へ行く。健康を回復したら『社区』に戻る」という新しい型の都市衛生サービス体制ができあがった。
2007年7月、労働・社会保障部(省)は、全国の79の大、中都市で「都市部住民の基本医療保険」を試行すると発表した。これは政府が、都市部の働いていない住民、とくに子どもや老人、障害者、低所得者などの医療保障問題の解決に着手したことを示している。
この都市医療保険は「新農合」と類似しているので、「新城合」と呼ぶ人もいる。働いていない都市部の住民はこの保険に自由に参加でき、障害者と低所得者にはさらに優遇政策がある。
半年にもならないのに、北京市だけで146万人の老人と子どもがこの保険に参加した。彼らは今後、医療費の全額は負担する必要はなくなり、その一部を政府が負担する。現在、全国で2億人以上の都市部の住民がこの措置によって恩恵を受けている。
かつては、都市の貧しい人々が救急患者として病院に運ばれた時、病院側はいつも難しい選択を迫られた。もし治療すれば、高価な医療費が最終的に病院側の負担になり、そのまま続けていけば、病院側も負担できなくなる。もし患者が医療費を工面するまで治療しないと、手当の時期が遅れて、とりかえしのつかない結果となり、病院が社会的に批判される。
この矛盾を解決するため、民政部と衛生部(省)はとくに「都市医療救助制度」を設立し、政府が出資し社会から資金を集め、急病にかかっても医療費が払えない市民がすぐに治療を受けられるようにした。このほど、民政部の李立国・副部長は「国は2007年に71億2000万元を投入し、全国の86%の市と県に『都市医療救助制度』を設立し、1440万人の都市の貧困層がこの制度の下に入った」と発表した。(張春侠 沈暁寧=文)
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