職業教育が新天地を拓く
周学田さんは済南市の郊外に住む農民である。彼の息子は2006年に中学校を卒業し、職業学校に合格した。それは、周さん一家にとって、うれしいことでもあり、困ったことでもあった。子どもが技術を身につけることができれば、将来、都市で働き、一家が貧困から抜け出す助けになるだろう。それはうれしいが、毎年4000元以上かかる学費は、食糧生産を主とした農家にとっては、負担が重い。
息子に学業をなんとか1年間続けさせたが、重い負担に耐えられなくなった周さんは、息子を中途退学させ、出稼ぎに行かせようかと考えた。ちょうどその時、うれしいニュースが伝わってきた。それは職業教育を大いに振興するため、政府が中等職業学校の経済的に苦しい生徒のために資金援助する政策システムを打ち立てるというのである。
ほどなく、周さんの息子は学校から1500元の奨学金をもらった。この奨学金は学年ごとにもらえ、返済しなくともよい。「奨学金はほんとうに恵みの雨でした。これでやっと、息子は勉強を続けることができました」と周さんは言った。
現在、中国の中等職業学校には、2200余万人が在校している。その7割以上が農村から来た生徒だ。彼らは3年ぐらいの職業訓練を受け、修得した技能で、都市部に就職する。統計によると、毎年、百万戸以上の農村の貧困家庭から都市部へ就職し、「一人が都市へ行き、一家全員が貧困から脱する」という目標を達成する。そのため、国が職業教育を発展させるのは、都市や農村の生徒たちの進路の選択を豊かにし、受験生の「大軍」が大学入試という細い「丸木橋」を渡るのを避けるだけではなく、教育の道を通じて都市や農村の貧しい家庭が貧困から脱出するのを助けることもできるからだ。
政府は、2010年以前に140億元を投資して、職業教育事業の発展を推進すると表明している。そして2007年に実行された教育支援政策により、1600万人の中等職業学校で学ぶ貧しい生徒たちが、安心して勉強できるようになった。
貧困学生を助ける「緑の道」 清華大学の学生寮地区にある総合サービスビルの東側に、緑の地に白い字で「緑色通道」と書かれた看板が立っている。これは学生たちに人気の特別な救済の道である「緑の道」である。これができたのは、10年前にさかのぼる。
1998年の夏、中国各地で大洪水が発生した。清華大学は、災害を受けて困窮した学生たちがスムーズに入学できるよう「緑の道」を創設した。これによって経済的に困っている新入生たちは、学校の援助を求めることができるようになったのである。
夏徳明さんは、「緑の道」の援助で順調に入学できた最初の33人の学生の一人である。当時、吉林省の農村から来た夏さんは、大学の門をくぐるとき、びくびくしていた。父親の病気治療のため、一家はすでに重い負債を抱えていた。入学手続きのため大学に行く前に、家の穀物を売って、なんとか北京へ出る旅費をかき集めた。
そのことを知ったクラス担当の先生は、すぐに彼を「緑の道」へ連れて行き、3000元の臨時の貸付けの手続きを取り、入学手続きを順調に終えた。また先生は彼に、学校側が学生の家庭の経済的窮状を確認したら、学費と雑費を減免することを教えた。現在、奨学金で勉強してきた夏さんは、すでに清華大学の博士課程で学んでいる。
統計によると、1998年の設立以来、この「緑の道」によって援助された学部の学生は延べ3479人で、援助総額は1803万元に達している。
清華大学のこうした教育支援は、たちまち全国の大学と社会に大きな反響を呼んだ。北京大学、中国人民大学や上海、天津、江西、四川など省や直轄市の大学も、数年の間に「緑の道」と同様の制度を設立した。現在、こうした「緑の道」は、新入生へのサービスにとどまらず、高学年の学生や大学院生にまでその援助の範囲を絶えず拡大している。
大学の「緑の道」が勢いよく発展しているとき、政府も1999年から教育援助貸付制度を実施した。貧困学生は、政府から低利の貸付けを受け、学業を続けることができる。卒業後、それを徐々に返済すればよい。教育部の統計によると、2007年10月までに、貸付けを申請し、許可された学生は332万9000人で、貸付額は合計308億6000万元になっている。
2007年8月22日は、新入生が大学に入ってくる日であった。清華大学の顧秉林学長は「緑の道」で、援助する必要のある学生たちにカバンや布団などを自ら配った。そしてこう言った。「学生諸君、安心してください。一生懸命勉強し、才能がある学生が、一人たりとも経済的な困難で中退するようなことを、学校は決してさせませんから」(張春侠 沈暁寧=文)
人民中国インターネット版
|