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心に残るあの人この人

 

パラリンピックに参加した多くの障害者たちは、自らの強靭さをもって、私たちに努力と向上することの大切さを教えてくれた。

永遠に踊り続ける 李月さん

車椅子のバレリーナ、李月さん(写真・王浩)

  パラリンピックの開会式で、右足に赤いトウシューズを履き、華麗にしなやかに踊った車椅子の少女、李月さん。四川汶川大地震で大きな被害が出た北川県出身の11歳だ。

幼い頃からバレリーナを夢見て、毎週バレエのレッスンに通っていた。地震で瓦礫の下敷きになったとき、「バレエのことを考えてがんばった」という。70時間後に助け出されたが、左足を失った。  

病院で布団をめくり、左足がないことを確認するたびに、涙をこらえることができなかった。そんな彼女のもとにたくさんの人が見舞いに訪れ、言った。「障害は負ったが、踊りたいという夢は実現できる」と。  

パラリンピックの開会式では大きな舞台に立って、「永遠にとまらないステップ」を見事に演じた。「地震は私から左足を奪ったけれど、バレリーナになる夢は永遠にあきらめません」

今も北京のリハビリセンターで治療を受けている。まもなく北京で学校に通う予定だという。

片足のスイマーナ タリー・デュトワさん

女子50メートル自由形S9クラスに出場したナタリー・デュトワ選手

南アフリカ代表の水泳選手、ナタリー・デュトワさんは、北京パラリンピックで金メダルを五個獲得した。それだけではない。彼女は北京オリンピックのオープンウォーター女子10キロにも出場し、16位に入ったのだ。

もともと、才能に恵まれた競泳選手だった。2001年、16歳の時に交通事故に遭い、左足を失う。しかしそれにくじけず、治療が終わった三カ月後には水に入り、練習を続けた。「ただ試合に参加したかっただけなのです。私は健常者と変わらず、同じような夢を持っているのです」

大きな困難を克服し、パラリンピックでは多くのメダルを手にした。彼女は自らの強い意志をもって、オリンピック精神を示した。

明るさを取り戻す 彭鳳玲さん

車椅子バスケットボールの彭鳳玲選手(写真・王浩)

  2004年、障害者スポーツのテスト訓練に参加した彭鳳玲さん。それをきっかけに、スポーツチームの一員に選ばれ、選手生活を始めた。

3年前、高校を卒業したばかりの彼女を病魔が襲い、片足を奪った。テスト訓練に呼ばれ、郊外の自宅から市街の訓練地まで行くのに苦労したことを今でもはっきり覚えている。「当時の私は背が高くやせていて、スポーツはそんなに好きじゃなかった。友人やコーチの強い勧めにより、続けることにしたのです」。その年、シッティングバレーボールの練習を始めた。1年後には、車椅子バスケットボールの中国代表チームに入った。

本来は活発な性格だったが、突然の障害により、無口になった。同年代の人が簡単にできることが、自分にはできなくなったからだ。しかし、スポーツのおかげで明るさを取り戻した。「スポーツは私の視野を広げてくれました。私も健常者と同じで、多くのことは努力すればやり遂げられるということに気がついたのです。未来のことは予測できません。不幸なことがあっても、前向きな気持ちで立ち向かうだけです」

今ではすっかり明るさを取り戻し、いつもキラキラとした笑顔を浮かべている。スポーツが彼女に楽しみをもたらしてくれたのだという。

自分に挑戦  成田真由美さん

選手村の入村式での成田真由美選手(前列中央)

アトランタ大会から今大会まで、成田真由美さんは四大会連続でパラリンピックに出場している。勝ち取った金メダルの数は15個。「水泳の練習を始めてから、絶えず自分に挑戦してきました。これまで続けてこられたのも、この気持ちがあったからです」

子どものころは水泳が嫌いだった。中学生のときに大病を患い、下半身が不自由になった。

1994年、知り合いに誘われて水泳を始める。負けず嫌いの彼女は1カ月で泳げるようになり、試合に出場して仲間とともにメダルを勝ち取った。しかしその試合の後、交通事故に遭い、障害が増えた。この突然の不幸を前に、彼女は驚くべき気力を見せた。再びプールに戻り、厳しい練習を始めたのだ。

1996年のアトランタでは、金メダル2個、銀メダル2個、銅メダル1個を獲得し、世界記録を2つ更新した。シドニーとアテネでも自分の記録を更新し続けた。

今大会は残念ながらメダルなしに終わった。しかしいつものように明るく、「60歳まで泳ぎ続けると思います。もしかしたら70歳かな?」と語った。

ボランティアで活躍  秦旭彦さん

ボランティアとして活躍した秦旭彦さん(写真・王浩)

北京パラリンピックでは20人の身体障害者ボランティアが活躍した。多くはオリンピック公園内で任務につき、秦旭彦さんもそのうちの一人だった。彼はまた、北京オリンピックでもボランティアを務めた。

生後8カ月で小児麻痺に罹り、左手と左足が不自由になった。しかし障害によって、勉学や生活が妨げられることはなかった。1999年、清華大学土木工程学部に合格。現在は博士課程を修了し、都市計画の研究所で働いている。

仕事の傍ら、障害者の心理ケアにも力を尽くしている。多くの障害者と触れ合い、彼らの心が楽になるよう手助けしている。「障害者たちの心は、本当はとても積極的で前向きです。人生にたくさんの希望を持っているのです」

今年3月、パラリンピックのボランティア養成員に選ばれ、ボランティアたちに障害者の体と心の特徴や手助けするときに注意することなどを教えた。「僕の努力により、社会の障害者に対する関心が高まればと思っています」

 

人民中国インターネット版 2008年10月16月

 

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