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古代から息づく「天人合一」の思想

2008年上半期、中国は2010年の風力発電の目標値を当初の500万キロワットから1000万キロワットに引き上げた。写真は、内蒙古自治区のホイトンシロ(輝騰錫勒)風力発電所

「天人合一」。これは中国古代からの哲学概念であり、「天と人とは理を媒介にして一つながりだと考える」(『広辞苑』)ことである。「天」は天道であり、自然であり、自然の法則を指す。「人」は人道であり、人為である。

この思想は、現代の中国社会にも脈々として生き続けている。しかし、急速な経済発展で、中国の生態環境は憂うべき状態に陥った。それを改善するためには、生産方式の変換とともに、人々の意識の変革が求められている。

見直される伝統的哲学

いまから約2800年前に始まった春秋戦国時代から、歴代の儒家、道家、法家の思想家たちは、「天」と「人」の関係について、絶えず論争してきた。北宋の思想家の張載(1020~1077年)は「天人合一」について、人間と万物はともに「天地の気」を受けて生まれ、人と万物自然は調和と均衡、統一の中にあり、「天」と「人」の調和こそが最高の理想である、と考えた。

世界自然遺産に登録されている四川省の九寨溝はかつては伐採場であったが、1978年に政府が伐採を禁止したおかげで、貴重な自然が残された

これより後、人類のさまざまな行為や活動は自然に順応し、自然の法則に合致しなければならないとする「天人合一」の考え方が、中国の思想文化と各種の生産活動にずっと影響を与えてきた。

中国の伝統的な農耕文明の中には、いたるところに自然に順応する考えが体現されている。例えば耕作は、季節の変化に応じ、春は種を蒔き、夏は耕し、秋は収穫し、冬は貯蔵するというように、農時に背かないようにしなければならないし、耕作し、種を植えるのも土地によって適したものにし、その地の自然条件に適合しなければならない、等々である。

中国各地の農民は、多くの良性循環の耕作方法をつくり出した。例えば広東省の珠江デルタの「桑畑と養魚池」は、実にうまくできている。順徳県竜江鎮は耕作面積が6万9000ムー(1ムーは6.667アール)しかないが、そのうち養魚池が3万7000ムー、桑畑やサトウキビ畑、バナナ園は2万1000ムーあり、それらが交互に配置されている。

福建省武夷山は空気がすがすがしく、水も澄んでいる。山はいつも雲霧で覆われている。ここに住む人々はこの自然条件をいかして質の高い茶葉を栽培してきた。この地は烏龍茶や紅茶の発祥地である

池と畑、動物と植物は、相互に利用し合い、循環している。桑の葉は光と水、肥料を吸収して大いに生い茂り、桑の葉を蚕に食わせて繭をとるだけでなく、蚕の糞や桑の葉の残りを池に入れて魚に食わせる。そして池を干して魚を売った後、魚の糞と有機物からつくられた池の泥を桑畑やバナナ園に運び入れれば、絶好の有機肥料となる。こうして「桑→蚕→魚」から「魚→泥→桑」へという生態系の良性循環が形成されるのだ。さらに農民は、魚類の習性の違いに基づいて、深さ2メートルの養魚池を三層に分け、「立体的養魚」で循環させている。それはまず、蚕の糞と桑の葉の残り、青草を上層にいる草魚に食べさせ、草魚の糞と余った飼料が水中の微生物で分解されると池の中には浮遊生物が繁殖し、これが中層に住む鰱魚(ハクレン)や鱅魚(コクレン)の格好の餌となる。さらに鰱魚や鱅魚の糞や食べ残しが底の層に住む鯉や鮒の餌となる。このように循環し、相互に利用しあって、養魚池は大きな収穫を得るのだ。

貴州のミャオ(苗)族やトン(侗)族の「水田養魚」も巧妙である。田植え前、農家の婦人たちは篭で水田の小魚をとり、さらにアヒルの群れを放して田の中の害虫を食べさせる。続いて犁で田をおこし、まぐわでならし、苗を植える。まもなく魚の卵が孵化すると、稚魚を水田に放つ。そして魚は水田の虫や浮遊生物を食べて大きくなる。魚の糞は稲の肥料となり、化学肥料や農薬を買わなくても済むし、無公害の米が収穫できる。客が来れば、主人は水田の排水口を開く。すると、鯉は流れに乗って、排水口に仕掛けられた篭の中に入る。その新鮮な魚で客をもてなすのだ。

自然と調和した住居

福建省の山間部で暮らす客家の人々が築いた土楼は堅牢で安全。自然にも近い(新華社)

中国の伝統的な民家は、内蒙古草原のパオや北京の四合院から南方の客家の「土楼」、ミャオ族やトン族など少数民族の住居である「吊脚楼」まで、どれも自然と人間が調和して共存するという豊かな内容を含んでいる。

広東、江西、福建、台湾などに住む客家の人々は、1600年前に中原の戦乱を逃れて河南などから南に移ってきた人々である。南方に来た彼らは、土着の人々との衝突を避けるため、山間部に入り、山紫水明の地に村をつくった。客家のつくった、四角か円い形の「土楼」や長方形の2、3階建ての「囲屋」はいずれも住宅で、山を背にして水の辺に建てられ、みなが集まって住む。それは堅固で安全であり、また人々は山水に心を寄せ、自然に親しむ。

中国の南方に住む多くの少数民族の住居は「吊脚楼」の建築様式を採用している(新華社)

しかし、川から遠く離れた「囲屋」は、常に門前に半月形の池が掘られ、「囲屋」に降った雨水を受けて養魚や菜園の灌漑に使い、万一火が出たときには、消火にも使われる。ただ南方は雨が多く、山の近くに建てられた「囲屋」は洪水で流されたり、山崩れに遭う危険がある。そこで客家の人々は、家の後ろに木や竹をたくさん植える。木や竹はしっかりと根をはり、一年中青々と茂り、家を洪水や山崩れから守る。このため客家の人々は、これを一族の繁栄にかかわる「風水林」と見なし、心を込めて保護するのだ。子どもたちはここでキノコを採ったり、ハシバミの実を拾ったり、野生の植物の実を摘んだりし、楽しみは尽きない。

客家の「土楼」や「囲屋」はみな、泥を突き固めてつくられている。土の壁は厚くて堅牢であり、冬は暖かく、夏は涼しく、きわめて快適である。壁に使った泥は、門前の池を掘った時の土であったり、裏山を切り崩した時の土であったりだ。レンガ造りの家を建てるのに比べると、レンガを焼く必要はないのでエネルギーは節約され、また煙や煤塵や廃棄物による汚染もない。もし将来、家を壊す時には、レンガの家ならレンガを処理するのに人手が要るし、お金もかかり、環境にも悪影響を及ぼす。だが泥を突き固めた壁なら、突き砕いた後、水田に運んで肥料にすることもできる。

「吊脚楼」で伝統的な織機を使い布を織るプイ族の女性

「吊脚楼」は貴州、広西、湖南などに住むトン族、ミャオ族、トゥチャ(土家)族の伝統的な民家である。彼らは杉の木を切ってきて、まず木柱を一本一本、しっかりと立て、さらに柱と柱の間に板を張り、部屋の間仕切りをつくる。最後に、屋根に瓦を葺いて完成する。木造の家に柱の脚が吊り下がっているようなので、「吊脚楼」と呼ばれる。風通しがよく、湿気を防ぐので、雨が多く湿度が高く、虫や蛇の多い中国の南西部の山間部に適している。

貴州のトン族の集落は、家はみな山を背にして水の辺に建てられている。そして天まで届くほど聳える木造の鼓楼や集廊橋、楼閣が一体となった「風雨橋」が架かり、どれもが優れたトン族の建築技巧を示している。

しかし、トン族は決して知恵を乱用して、命の綱の山水を「改造」するようなことはしない。「吊脚楼」はみな自然に従い、おのおのその所を得ている。例えば、平地に住む場合はまず基礎を突き固め、さらに礎石を埋め、礎石の上に柱を立て、家をつくる。池や川の辺に建てる場合は、まず水面から一メートルの高さの石の台をつくり、その上に柱を立て、家をつくる。山の斜面に建てる場合は、山を切り開くことはせず、前に2、3列の木柱を立て、後ろは山に沿って木をわたす。山の土は削らず、山地の自然の形をそのまま保護するのだ。

家を建てるのに用いる杉は、トン族の素晴らしい風習によって保護されている。トン族の子どもが生まれると、祖父と父はすぐに山に入り、子どものために杉の木を植える。子どもが18歳になるころには、杉も大きくなっており、これを伐って、男の子なら嫁とりに備えて新しい「吊脚楼」を建てる。女の子なら、この杉を売って嫁ぐのに備える。この風習のおかげで、トン族の村の杉林は一面、青々と茂っているのだ。

 

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