現在位置: 社会
喜怒哀楽の2008年(3) 災害がみんなの心を一つに 全国を戦慄させた大雪、大地震 

5月19日、山東・英才学院の教師と学生1万人はみんなで大きな「心」の形を作り、その中に「川」の字を書いて四川汶川大地震の犠牲者を悼んだ

2008年は災害が絶えない年でもあった。1月中旬から2月末にかけて、大雪、低温が中南部の21の省・自治区・直轄市を襲った。この大雪、低温の悪天候は50年ぶりと言われるほど長期間、広範囲におよんだ。多くの地域で送電線が切れ鉄塔が倒れ、道路も寸断された。水や電気の供給が止まり、生活に支障をきたした地域も多かった。

ちょうど春節(旧正月)の時期と重なり、鉄道がストップしたため、帰省しようとしていた数十万人の人々が広州や長沙などに足止めされた。温家宝総理は、両市に赴いて被災者を見舞い、駅に足止めされていた人々の動きを指揮した。

大雪災害によって倒壊した家屋は35万戸以上にのぼり、農作物も大きな被害を受けた。

政府の迅速な対応

四川省彭州市の14の深刻な被災地の村人全員がテント村に移り、生活必需品も支給された

大雪災害からまだ完全に立ち直らない中、5月12日、四川省汶川県を中心にマグニチュード8の特大地震が発生した。何の予兆もなしに、震源近くの地域は一瞬にして廃墟と化した。この地震は7万人近くの命を奪った。負傷者も37万人余りにおよび、中国全体が悲しみにくれた。

突然の災難に対し、中国政府は速やかに資金や人手を集め、救助活動を始めた。国家の指導者たちの行動も速かった。温総理は地震発生の翌日に被災地へ駆けつけ、救助活動を指揮した。

地震発生後、政府は「抗震救災指揮部」を設立し、救助活動における各機構の役割を全面的に協調させた。救助活動において、政府は強い組織力を見せ、速やかに生命を救い、負傷者を手当てし、被災者を収容した。

強い団結力を発揮

洛陽市の市民たちはケーキやプレゼントを持ちより、地震でケガをして河南医科大学第一付属病院に収容された劉湘さん(右端)の12歳の誕生日を祝った

災難を前にして、中国人は強い団結力を発揮した。四川汶川大地震が発生した後、数万人におよぶ人々が各地から被災地に駆けつけた。自分の持ってきた食料や薬品を被災者に無料で配った人もいる。

全国各地では、献血をしたり、金品を寄付したりする人々が長蛇の列をつくった。今でも被災地への寄付は続けられている。

民政局の統計によると、10月末までに全国各地から寄せられた寄付金は合わせて600億元に達するという。全国の人々の心は被災地とつながり、ともに困難を乗り越えようとしているのだ。

大地震の発生から6カ月がたった。政府は『汶川地震被災地再建全体計画』を正式に発表。被災者の生活も平常に戻りつつある。被災地の人々は、新しい生活の建設に取りかかっている。(0812)

 

人民中国インターネット版 2009年1月6日

 

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850