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喜怒哀楽の2008年(10) 一人っ子世代動きだす 中国のボランティア元年

国家体育場「鳥の巣」の近くで観客に道案内をするボランティア

全国からボランティア集まる

2008年は中国のボランティアたちがもっとも活躍した一年である。5月12日、四川汶川大地震で、中国災害救援ボランティア活動史上、初めて三者の歩調がうまくかみ合った。ボランティアと軍隊が歩調を合わせて捜索救助活動に当たり、ボランティアと医療チームが共に救護活動を行い、現地のリーダーや住民とボランティアがともに自力救援をしたのである。例えば、四川省の現地の多くの住民たちが自発的に街の献血車に行って献血したり、自家用車を使ってケガ人や救済物資を運んだ。全国各地からやってきたボランティアの医療チーム、セラピストチーム、学生の救助チームなどが続々四川に集まった。

北京城市学院の2年生熊述娟さん(右から3人目)は帰省中に地震に遭遇。身内を失った彼女はボランティアとして救援活動に飛び込んだ

今回の中国での大規模なボランティア活動は、これまでの災害発生時にまず政府が行動し、国民がついて行くという慣例を変えた。ボランティアは一部の人の活動で、自分の生活とはあまり関係がないとほとんどの人が思っていた。普段はボランティア活動と言えば、ほとんどが学校や「社区」(コミュニティー)が組織し活動するものであった。四川省被災地のような全国的な自発的ボランティア活動はこれまでになかった。それは人々のボランティア活動に対するイメージを大いに変え、より多くの人が積極的にボランティア活動に参加できるようにした。

ボランティアの中に、1980年代に生まれた、いわば甘やかされて育った一人っ子たちもたくさんいた。人々は常に「80後」の若者を憂え、「反逆・自己中心・集団主義精神を欠き、未来は憂うべき」と思っていた。ところが、今回の救災活動では、彼らは非常に活躍し、苦労をいとわず、人助けに尽くした。彼らの姿は被災地のあちこちで見られ、悪いイメージを一変させた。彼らの中に中国の希望が見えた、と多くのメディアが高く評価した。

若者や市民が進んで参加

北京の王府井大通りで国内外の観光客にサービスを提供する広東省東莞市から来たオリンピックボランティアチーム

その後のオリンピックボランティアは、さらに中国のボランティア活動を高めた。統計によると、北京オリンピックやパラリンピックの間、合わせて10万人(申込み者は百万人を超えた)のボランティアが各会場でサービスを提供した。そのうち90%は大学生である。彼らは毎日早朝から持ち場に着き、深夜まで大学には戻れなかった。競技場が目の前にあっても、観戦はもちろんできない。それにもかかわらず、彼らはオリンピックボランティアの仕事に喜びと誇りをもっていた。

また、北京オリンピックは都市ボランティアを募集した。7月から10月まで、40万人近くのボランティアが500の都市ボランティアサービス・ステーションで、選手や観戦者、観光客および市民たちに情報提供、ガイド案内、応急措置、通訳などさまざまなボランティアサービスを提供した。数多くの大学生やサラリーマン、定年退職者、住民委員会の人たちが都市ボランティア活動に参加した。ボランティア活動の理念が深くみんなの心にしみ込んだ。このため、2008年が中国の「ボランティア元年」になるかもしれないと言う人もいる。(0812)

 

人民中国インターネット版 2009年1月8日

 

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