教育を支えるボランティア先生
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子どもたちを教える張凱先生 | 「今日は、唐代の詩人、白居易の詞『憶江南』を勉強しましょう。誰か、詞とは何かを説明してくれませんか」――6年生の国語を教える張凱先生が黒板の前に立って質問した。「詩より字数が多いのが詞といいます」「詞とは歌の歌詞です」……子どもたちは口々に答えた。
「詞は、わが国の古代文学の様式の一つで、それを歌うこともできるものです」と張先生。その言葉がまだ終わらないうちに、一人のやんちゃな男の子が大声で叫んだ。「先生、私たちに歌ってもらえませんか」。クラス全員がどっと笑う中、張先生は微笑みながら「歌えるようになったら、必ず歌ってあげるよ。いまはまず、私の後について朗読しよう」と言った。
張先生は子どもたちにとても好かれている教師である。彼がこの学校で教えるようになったのは、まったくの偶然でしかない。
2006年の春節(旧正月)のころ、新疆ウイグル自治区で測量の仕事をしていた張凱さんは、何気なしにテレビを見ていた。すると同心実験学校の孫恒校長がインタビューを受け、「学校では教師が足りない」と語っていた。張さんはすぐ学校に電話を掛けた。
「教師になりたいのですが、教師の資格証明書がありません」と張さんは言った。すると孫校長は「教育経験は、もっとも重要なものではありません。学校が必要としているのは、責任感があり、子どもたちを愛する先生です」と答えた。1週間後、24歳の張さんは、荷物を抱えて学校の門をくぐったのだった。
張先生は、ここに勤めてから3年余りになる。国語と算数を教え、36人の6年生の世話をしなければならない。勉強の教え方については、自信を持っている。「私の授業は、みな喜んで聞いてくれる。子どもたちは授業中、自由に質問してもよい。しかし誤字を書いたり、小数点の位置を間違えたりするのは決して許さない」と張先生は言う。
彼の担任するクラスでは、「読書の時間」を特別に設けている。この時間に子どもたちは自由に課外の書籍を読むことができる。そして分からないところがあれば、いつでも先生に質問してよい。「教科書の内容に限らず、子どもたちが多くの知識を身につけてほしいと思う。腕白な子が悪いとは、私は思わない。勉強の面でも活発なら、私は必ず彼らをほめます」と、張先生は言う。
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作文の添削・批評を書きながら、子どもたちの質問に答える張凱先生(右) |
授業についていけない子どもには、張先生はいつも、放課後、彼らの家に行って補習を手助けする。子どもたちの宿題を添削するのが一番、心が休まる、と張先生は思っている。
毎月の収入が840元近い張先生は、学校内では高額所得者だが、北京市では低所得者層に属している。普通のサラリーマンの月給の4分の1にも及ばない。しかし彼は別に不満を感じてはいない。簡単な食事でも暮らせるという。10平米もない部屋の家賃は毎月80元、それに日常生活に必要な費用以外、残ったお金はほとんど、教育関係の書籍やCDを買うのに使う。
「私は教育専門の正規な養成・訓練を受けたことがないので、独学しなければならないのです。政府が私のように教育が専門でない教師たちのために補習クラスをつくり、もっと科学的、合理的に子どもを教育できるようにしてほしい」と張先生は望んでいる。
同心実験学校の教師になってから、張先生がもっともうれしいと思っているのは、両親とともに北京を去り転校して行った2人の子どもを除いて、クラス全員が一人も学校を辞めなかったことだ。「学校がある限り、私も辞めない」。張先生はきっぱりと言った。
同心実験学校には、張先生のような専任の教師が16人いる。しかし、全校430余人の児童からすれば、まだ足りない。多くの先生たちが2つ以上の学科を受け持たなければならない。幸いなことに、社会や大学から少なからぬボランティアがいつも支援にやって来てくれる。
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就学前の子どもたちを野外活動に連れて行く大学生のボランティア、陳蘭蘭さん |
中華女子学院の教育学部4年生の陳蘭蘭さんもそうしたボランティアの一人だ。授業のない日、彼女は同心実験学校にやって来て、就学前のクラスで3、4歳の子どもたちの面倒を見る。こんな小さい子どもは管理しやすいと思うかもしれないが、実は、毎回の授業は、陳さんにとっては試練なのである。
授業が始まるとすぐ、一人の男の子が泣きながら母親を捜し始めた。陳さんが片手でその子を抱えてあやし、もう一方の手で、玩具を取ろうと引っ張りあっている2人の男の子を引き離さなければならない。同時に、ほかの子どもたちに「席に戻って座りなさい」と絶えず言い、そのうえ後ろから小さな女の子が彼女の服を引っ張って、水がほしいとねだるのだ。
「この年齢の子どもたちは、先生の言うことを完全には理解できません。自我がかなり強い。だから、もっと大きな我慢と愛情で、この子らの世話をしなければなりません」と、22歳の陳さんは言う。
陳さんの頑張る姿に学校側は、あまり多くない資金の中から、彼女に150元の奨励金を出すことにしたが、陳さんはどうしても受け取らなかった。彼女は、家族とともにあちこち漂い歩くこうした「流動児童」も、都市の子どもと同等の教育を受ける権利があるはず、と思っている。
間もなく大学を卒業する陳さんは、故郷の四川省に帰って、幼稚園の先生になるつもりだ。同心実験学校での体験は非常に貴重だったと、彼女は考えている。「ここの先生方は一つの共通の目的を持っています。それは『すべては子どものために』ということです。この学校の中で自分が行ったことは、大変意義のあるものだったと思っています。大学は、教師としての技能を教えてくれましたが、この学校は、教師としての徳性を教えてくれました」と陳さんは言うのである。
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