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紆余曲折を経た「三通」の実現

 

「三通」は時代の流れ

1987年、民間の要望が強まる中、台湾当局は大陸への親族訪問を解禁し、38年にわたって続いた両岸の断絶状態に終止符が打たれた。

2008年12月15日、国家郵政局などが主催する海峡両岸の直接通郵の儀式が北京で挙行され、台湾に向けた最初の郵便物が投函された

1987年11月、台湾に住む江蘇省常州出身の周純娟さんは、大陸への通行許可証を得た最初の一人となった。両岸を往来する人の数は、翌年には延べ43万7000人に達した。 

1988年より、台湾の商船が他の地域を経由することで迂回して両岸の間の貨物を運び、大陸側も台湾船を優遇し、台湾の海運会社が大陸で独資及び共同出資で企業や事務所を設立できるよう相次いで許可を与えた。

1989年、両岸の郵便物はそのまま香港を経由して送られるようになり、台湾側も他の地域を経由して大陸への電報や電話サービスを開始した。両岸それぞれの航空会社も「乗り換えの手続き不要」「荷物の託送も積み替え不要」といったこれまでにない業務のサービスを始めた。

両岸の交流の発展とともに、民間の権利に関わる厄介な問題も出てきた。1990年と1991年に、台湾の海峡交流基金会(略称「海基会」)と大陸の海峡両岸関係協会(略称「海協会」)が設立され、さまざまな緊急事件に合同で対応するようになった。二つの会は会談と交流を重ね、1992年に「海峡両岸は一つの中国の原則を守る」という「九二共識」に口頭で合意し、二つの会のさらなる交流の基礎を確立した。

1993年4月27日から29日まで、シンガポールで汪道涵「海協会」会長と辜振甫「海基会」会長による「汪辜会談」が開かれた。これは、双方が正式に委託した民間機構の最高責任者による初めての会談で、1949年以来、両岸のトップクラスの人士による初の接触であった。

「汪辜会談」では、両岸の経済協力や科学技術、文化、報道などの分野における交流を強化することなどが話し合われた。これによって、「一つの中国」の原則に基づく両岸対話のメカニズムが確立し、両岸の経済、貿易、文化、人的交流のために良好な環境が築かれた。今回の会談は民間、経済、事務、機能という範囲に限ったにもかかわらず、その意義及び両岸関係に与える影響は大陸でも台湾でも重要視され、国際的な注目も集めた。

1993年4月27日、シンガポールで開催された「海協会」と「海基会」のトップ会談後、「四項目の合意」に署名する汪道涵「海協会」会長(左)と辜振甫「海基会」会長(右)

1997年に香港が中国に復帰し、国際情勢や両岸関係に新たな変化が見られた。1998年10月14日、汪会長と辜会長が再び上海で会見し、政治、経済などをめぐる広範な対話が実現した。また、汪会長が招待に応じる形で台湾を訪問するなどの四つの共同認識が確認された。

しかし、当時の李登輝国民党主席が「二国論」で分裂を主張したことで、「海協会」と「海基会」との接触の基礎に再び亀裂が入り、汪会長の台湾訪問は妨げられ、会談も中断された。2005年、辜会長と汪会長が相次いで世を去り、「汪辜会談」は終焉した。「汪辜会談」によって築かれた両岸の「小異を残して、大同に就く」という協議の原則は、一貫して両岸関係の発展に重要な役割を果たしている。また、両岸同胞の強い要望と努力により、両岸の「三通」は大きく進展した。

1997年、福州、アモイ(廈門)から高雄までの海上直行便が試運航を開始、商船の直接通航が不可能であった48年間に及ぶ歴史が幕を閉じた。翌年、コンテナ定期船が運航を開始した。両岸の貨物船が他地域を経由した場合には、荷揚げせずに書類を交わすだけで互いの行き来が可能となった。

2001年1月1日、福建省沿海のアモイ港、馬尾港は金門島、馬祖島との直行が実現、「小三通」が正式に始動した。

2003年より、両岸間の航空便も大いに発展した。台湾の航空会社の「春節チャーター便」をきっかけに、両岸の航空会社による合同の双方向の「春節チャーター便」から「祝日チャーター便」まで、これまでのように香港やマカオに一旦着陸する必要もなくなり、香港の上空を経由するだけで両岸を往復できるようになった。両岸の「三通」はますます盛んになり、大きな流れとなるだろう。

しかし、かつては台湾当局の制限と妨害により、両岸の「三通」は長い間、間接的、一方的、局部的に限られた状態が続いていた。とりわけ大陸の人の台湾訪問や投資活動は、台湾側からさまざまな制限を受けていた。

海と空、郵便の直行便が実現

両岸の交流、往来が絶えず拡大するにつれ、経済貿易分野の依存度はますます高まり、両岸の「三通」の実現はもっとも重要な時代のテーマとなった。

2005年4月29日、中国共産党の胡錦濤総書記は北京を訪れた中国国民党の連戦主席と会見し、新聞コミュニケを発表。60年ぶりの両党のトップ会談である。「両岸の全面的な経済合作の展開を促進し、経済貿易の密接な協力関係を構築し、全面的、直接的かつ双方向の『三通』や海と空の直行便の開通、投資や貿易の往来と保障を強め、両岸の協商を回復してから、両岸共同の市場の建設問題の優先的な検討を促進すること」を双方が提起した。

2008年8月14日、中国国民党の呉伯雄主席(中央)が夫人とともに、福建省永定県の思賢村に帰り、祖先の墓に参った(写真・林世沢)

2006年4月14日、第一回両岸経済貿易文化フォーラムが北京で開催された。中国大陸側は『両岸の交流合作をさらに促進し、台湾同胞にも恩恵の及ぶ15項目の政策措置』を発表。以来、年に一度の両岸経済貿易文化フォーラムは、両岸各界の誠意ある交流の重要な場となっている。

2008年は両岸関係における重大な転換が実現した年である。6月12日、「海協会」の陳雲林会長と台湾側の「海基会」の江丙坤理事長が北京で会見し、9年間にわたって中断されていた話し合いを再開。協議によって、双方は両岸の週末チャーター便および大陸側の住民の台湾旅行について合意に達した。1993年の「汪辜会談」で調印された「四項目の合意」以来、21世紀に調印した初の合意である。規定によれば、7月14日から両岸の週末チャーター便が正式に開通するとともに、さらに多くの都市を開放、両岸同胞の往来が便利になる。大陸側住民の台湾観光も7月18日から正式にスタートした。

11月4日、「海協会」の陳雲林会長が初めて台湾を訪問、「海基会」の江丙坤理事長と台北で海上直航、空中直航、両岸の郵便物の往来及び食品安全の「四項目の合意」に調印した。協議によれば、両岸は空の双方向直航便を開通、旅客チャーター便を正常化し、貨物直航チャーター便も開通した。さらに互いに主な港を開放して海運を直航にし、郵便物の直接往来を実現し、重大な食品安全事件について協商して処理するメカニズムを構築することで、両岸関係の発展は歴史的な一歩を踏み出すことになった。

2008年12月15日、両岸の同胞が待ち望んでいた海運、空運の直航、郵便の直接往来が全面的にスタートした。

両岸の空運直行便が開通すると、片道の飛行距離は北京から台北で1100キロ、上海から台北で1000キロ短縮され、飛行時間も約1時間20分短縮される。台湾のビジネスマンは午前便で大陸へ飛んで会議に参加し、午後には台湾の自宅へ戻って家族と夕飯を食べることができる。「両岸日帰り生活圏」が現実となるのである。

両岸の74の港の間でも直航船が開通し、海運直航の効率も大いに増加する。例えば、上海から高雄行きの一万トン級のコンテナ船の輸送は、もともと日本の石垣島経由だったが、そのルートでは現在に比べると輸送距離は30%、輸送時間は約一日間長く、一トン当たりの貨物の輸送費は3ドル以上多くかかっていた。両岸の年間貿易額を千億ドル、年間輸送量を7000万トンと計算すれば、直航船が開通することで毎年輸送時間を11万時間、輸送費を1億ドル削減することができる。

昨年12月15日より両岸の郵便の直接往来も実現したが、当時は台湾郵政部門のシステムに改良の必要があったため、郵便為替業務は台湾から大陸側への送金のみ可能であった。2009年2月26日、大陸側の郵政貯蓄銀行から台湾郵政への電子送金業務もスタートし、大陸側と台湾の双方向の郵政為替が実現した。

 

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