張春侠=文
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2008年8月8日、北京オリンピックの開会式が国家体育場で行われ、開会式前に台湾から来た「高金素梅文化団」が舞踊『私たちはみな家族』を演じた | 両岸間のビジネスが日増しに密接になる一方で、文化の交流も注目されるテーマだ。同じ源に端を発した二つの文化の交流は、二十数年という歳月をかけ、無から有へ、間接から直接へ、一方から双方へと深化し、両岸に住む人々の感情をつなぎ、交流の発展を促進するうえで、特別な役割を果たした。
「二つの故宮」 60年ぶりの再会へ
2009年2月15日、北京の故宮博物院の鄭欣淼院長は、台北の故宮博物院の周功鑫院長と会談した。両故宮トップの正式な会談は初めてであり、60年前に二つに分かれた故宮は初めて交流することになった。このニュースは、両岸をはじめ、世界各国の注目を集めた。
かつて故宮は、500年にわたって明清両時代の皇宮であり、24の歴代の皇帝が収集した百万点以上の膨大な宝物が所蔵されていた。1925年、清王朝の最後の皇帝・溥儀を皇宮から退去させた後、博物館「故宮博物院」と名前を変え、所蔵の美術品などを一般に公開するようになった。
1930、40年代、戦火や日本軍から逃れるように、故宮博物院の一部の貴重な文物や収蔵品は、中国各地を転々とするなど幾多の曲折を経て、台湾へ運ばれた。これらを保存、展示するために、1965年、台北に近代的な博物館、台北「故宮博物院」が建設された。
現在、北京故宮には130余万点のさまざまな収蔵品がある。一方、台北故宮には65万点あまりあるが、その90%以上は、元来、北京故宮に所蔵されていたものだ。大陸の人々にとって、これらの美術品を見る機会はほとんどなかった。
「北京故宮には宮があるが宝がない。台北故宮には宝があるが宮がない」と、世間では言われている。正確な表現ではないが、一つの故宮が二つに分かれ、それぞれ欠陥のある現実を指摘している。両岸が交流を始めて二十数年間、北京と台北の故宮間に正式な往来はなかった。故宮博物院誕生80周年の際も、別々に祝賀イベントを行った。
両故宮トップの会談では、来年より毎年専門家を相互派遣すること、10月に台北故宮で行われる雍正帝の展覧会に北京故宮から37点の美術品を貸与すること、11月に台北故宮で共同シンポジウムを行うなど、8つの協力プロジェクトを行うことを確認した。
今回の両故宮の再会は、両岸の「文化の氷を割る旅」と、しばしば例えられる。しかし、実際には、両岸の文化交流は1980年代からすでに始まっていた。
1987年11月、台湾当局は台湾同胞の大陸への帰郷を開放した後、台湾文化界の一部の人は大陸との接触を始めた。ルオ・ダーヨウ(羅大佑)やアンガス・トン(童安格)らの台湾歌手は大陸でパフォーマンスをし、これらは両岸文化交流の幕開けとなった。1992年8月、12名の芸術家からなる「大陸芸術家演出団」が、初めて台湾で演奏し、両岸の双方向文化交流を体現した。
その後、両岸の文化交流活動はますます盛んになった。
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2009年2月18日、台北の故宮博物院の周功鑫院長(右端)の一行が上海博物館を参観した | 映像や音楽も 共同制作へ
バレンタインデーの2月14日、台湾映画『海角七号』が大陸で封切られた。
この映画は、過去と現在の日本と台湾の恋を描いたロマンチックラブ・ストーリーだ。昨年、台湾での公開後、空前のヒットを記録し、興行収入5億3000万台湾ドルを突破。『タイタニック』に次いで台湾映画興行成績のランキングで歴代二位になった。
大陸での公開後は、初日と翌日の二日間だけで興行成績は930万元に達した。この興行成績は、映画監督でさえも予想し得なかった数字だ。
一方、大陸、台湾、香港の三地域で共同制作した『レッドクリフ PartⅡ』(中国語原題は『赤壁(下) 決戦天下』)は、春節(旧正月)前に台湾で封切られ、初日で856万台湾ドル(約220万元)を売り上げて、オープニング興行成績一位となった。さらに公開一週目で、4346万台湾ドル(約1100万元)を記録した。
両岸の映像や音楽などの文化面でのつながりは、1980年代に溯る。当時、「退廃的な音楽」と批判された台湾歌手テレサ・テン(鄧麗君)の歌曲は、大陸全土にあまねく広がっていた。また、台湾の女性人気作家の瓊瑤の作品は、大陸で恋愛小説はかつて禁止されていた背景も手伝って、瞬く間にブームとなった。その後、三毛、亦舒などの文学作品も、次第に大陸で読まれるようになり、大きな影響をもたらした。
1987年、台湾の撮影クルーは大陸ロケを行い、中国各地の民俗と風土を紹介する紀行番組『八千里路雲和月』を制作。これにより、映像分野においても両岸の共同制作がスタートとなった。
1988年、台湾の恋愛小説の名手、瓊瑤は大陸の親戚を尋ねて帰郷した際、湖南テレビと取り決めを交わし、ドラマ『六個夢』を共同制作した。このあと、『還珠格格』や『又見一簾幽夢』などの人気ドラマを次々と発表し、両岸で人気を博している。
ここ数年、台湾テレビ業界では、大陸ブームが起こっている。壮大なテーマで丁寧に作られたテレビドラマは、台湾の民衆に大変評判がいいという。チャンネルが百もある台湾のケーブルテレビでは、ほとんどすべてのチャンネルで、毎日大陸のテレビドラマを最低3時間は流している。それに関係したVCDやDVD商品の新聞広告を、見かけない日がない。
大陸のテレビドラマの盛況ぶりを受けて、多くの台湾芸能人らは先を争うように大陸進出の機会をうかがっている。台湾の著名歌手も次から次に大陸でコンサートを開催している。統計によれば、この二十数年来、大陸と台湾の共同制作による映画、ドラマ、テレビ番組などは500本あまりに上り、延べ4000人以上の台湾の人々が、大陸からの要請を受け、大陸で制作や演出をしている。大陸の業界関係者も延べ3000人以上が台湾に赴いた。
さらに、両岸の映像交流を拡大するために、2007年11月、国家広播電影電視(ラジオ・映画・テレビ)総局は、2008年1月1日より大陸と台湾が共同制作したテレビドラマは、大陸の主管部門の審査を通過すれば、大陸での放映が可能になると発表した。一方、台湾の新聞主管部門は2008年12月、大陸の歌手、俳優、ドラマクルーなどが台湾で活動を開放することを伝えた。
両岸間の相互進学が可能に
さまざまな文化交流が深まるにつれ、両岸の教育の面でも、その関わりは次第に親密になってきている。
2008年11月に開かれた「第四回海峡両岸高等教育フォーラム」で、台湾は2009年に大陸から進学のための学生1000名を受け入れると発表した。これは両岸の関係史上、初めての試みである。また、大陸の大学卒業資格を、幾度かにわたって認可することも伝えた。先立って北京大学など学術的に声望のある著名な39校の卒業資格を学歴として認め、後すぐに、77の重点校までに範囲を広げた。
1985年、大陸は台湾に対し、大学および予科クラスの生徒募集を開始した。近年、大陸への投資ブームにつれて、移住ブームも高まっている。台湾からの大陸の大学への進学は年々増加し、毎年4000から5000人ほどである。
大陸の教育部は2006年初め、正式に台湾の教育主管部門が認めた台湾の大学卒業学歴を認可した。2008年10月末、台湾の103の大学は、大陸の大学との間に協定を結んだ。この数は、台湾の大学157校のうちの、三分の二以上にあたる。
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