牧畜と移民を禁じ、環境と人の住まいの調和をはかる
中国の国土の中で、内蒙古は東北、華北、西北の三つの地方にまたがり、東西に細長く2400キロ、東端から西端まで飛行機でも3時間以上かかる。特殊な地理条件がまた内蒙古特有の自然環境をつくっている。内蒙古東部の大興安嶺から西に向かって、繁茂する原始林が、だんだん草原になり、丘陵、砂地、最後に砂漠になるという、全区の自然植生が見事な梯子状分布をしている。
フホホト、パオトウ、オルドスの三市はこの内蒙古の中西部、つまり丘陵あり砂漠ありというところに位置している。
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オルドスでは、どこでも人工植樹の樹を見ることができる |
オルドス市の植林率は75%に達している。夏になると辺りが緑になる。写真は、東勝の環状林帯を空中から俯瞰したもの(写真・陳曦) |
車でオルドスの道路を通り抜けると、両側は当地特有の丘陵渓谷の様相を呈する。オルドス全市の48%が砂漠で、他の48%が丘陵渓谷で、4%足らずが草原と耕地である。この劣悪な自然条件とひ弱な生態のため、オルドスは非常に環境保護に力を入れている。現在、どこに行こうとも、きちっと列をなした人工植樹された樹を見ることができる。オルドスは中国でも有数のウールの服装の生産地で、ここで生産されるウールのシャツは国内では有名である。しかし、今はここで羊を見かけることはほとんどない。オルドス市東勝区宣伝部の王兵部長の説明では、この地のひ弱な生態環境を保護し改善するため、オルドス市は毎年数億元を造林と環境の改善に使っている。草場の休養と復元のため、政府は一九九八年から全面的に放牧を禁止し、全市の農牧区を「禁牧」「休牧」「区割り輪牧」区に分けて、遊牧民たちに伝統的な野外での放牧を囲いの中の飼育に変えさせた。この他、政府は「耕地を林に戻す」こととし、2万平方キロを無人居住区として「生態自然回復区」に指定した。
王兵部長は、「禁牧政策を施行するとき、大多数の農牧民から理解と支持をいただいた。二年かかって、全市で禁牧を達成することができた。2000年『放牧地を草原に戻す』政策が内蒙古全区で推し進められた時、オルドスは全区の先頭に立つことができた」
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王二蛇 | 2000年以来、オルドスは全体で500万ムー(1ムーは6.667アール)の耕地を林に戻し、放牧地3000万ムーを草原に変え、植林に力を入れ造林し、全市の植生も30%から75%に、森林も21.56%を占めるようになり、生態環境もすでにかなり改善された。王兵部長は、「以前は、オルドスというと、つるつるに禿げた荒れ果てた光景を思い浮かべましたが、現在のオルドスはすでに至るところに緑があり、砂嵐もかなり減りました」と言った。
耕地を林に戻したり、放牧地を草原に戻したりする中で、多くの農牧民はもとの畜産地区から市内に移り住んだ。オルドス市東勝区の鉄西団地は「生態移民」のためにつくられた住宅地である。
王二蛇さん(61歳)の一家は2005年にこの住宅地に移り住んだ。来る前は、市内より60キロ離れた柴登鎮で生活していた。そこは元は農業区で王二蛇さん一家6人はわずか何ムーかを耕し、家の収入のほとんどを息子と嫁の出稼ぎに頼っていた。2005年、政府が農家に町に移り住むように呼びかけ、移民のために新居を用意し、移民の戸ごとに一定の経済補填をした。王二蛇さん一家は全部で3万5000元を払って90平米の新居に移ってきた。市内に住んでから、王さん夫婦は政府から毎月200元の養老金を受け取っている。王二蛇さんは、「私は以前はまさか私のような農民が養老金をもらえるなどとは思ってもみませんでした。ほんとうに政府の移民政策に感謝です」と言う。この他、居民委員会の口利きで警備の仕事が見つかり、毎月800元の給与が入り、一家の生活も大いに楽になった。
オルドス市には鉄西団地のような生態移民住宅地が他にもまだ10何カ所かある。東勝区宣伝部の王兵部長は、「移民の人々に対しては、我々はある一定の経済的な補填をすると同時に、青壮年に対しては職業訓練をして、就職させて彼らが都市で生活できるようにします」と言った。
統計によれば、2000年以来オルドスでは40万人以上の農牧民が都市に移住した。全市の農牧民はすでに30%に満たない。生態環境が改善されたのと同時に、農牧民も都市の住民に変身し、生活条件もだんだん改善されてきている。
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