人民警察の地震救援の日々 「すぐに勤務に戻るのがルール」

2019-06-25 14:31:08

 

623日、四川省珙県の避難所で勤務する王玉傑さん

617日の長寧地震の発生から6日目、普段は大声で話す王さんが大声を出せなくなった。今年55歳の王玉傑さんは警察官になって34年になる。珙県巡場鎮派出所の住宅地人民警察である彼は、庶民と付き合ってきた。近所で問題が起きたとき、王さんが出て行くと解決できる。

ところが2017年、「国防気質」がある彼は喉頭癌を患い、18年に声帯切除手術をし、計28回の放射線治療を受けた。普段から大きな鐘のような声で話す王さんだったが、現在は以前と異なり、話すにも力がいり、声は弱くかすれている。

亀裂が入った巡場鎮派出所の2階の事務所で、彼は疲れた様子で机にコップを置いて座り、喉の手術痕が目立つ。少し話すだけで水を飲まなければいけないという。

617日夜11時頃、1日の仕事を終えた王さんが寝る準備をしていると、突然強い揺れを感じた。その揺れは四川地震より強く、家の中の物が床に散らばり、片づける余裕もなくすぐに妻を連れて外に出た。外には驚いて落ち着かない様子の人たちがたくさんいた。移動中に渋滞にあい、王さんは妻を弟一家に預けて派出所に向かった。

「重大な出来事があればすぐに勤務に戻る。これは規則」と彼は話した。

 

同日晩、王さんは白皎住宅地での勤務を言い渡された。ここはかつて炭鉱で、古い住宅が多くあり、王さんはここの派出所で何年か勤務していた。車を降りてまずすることは、死傷者状況の確認である。住宅地を2キロ歩いて聞き回り、死傷者がいないことを知った王さんはほっとした。

次に、彼は住民を落ち着かせながら、彼らの避難所選びをサポートし、一晩中眠ることはできなかった。翌朝、王さんは立ち退きエリアの住宅地を訪ねた。同日、珙県で大雨が降り、王さんは住民に防火と防盗にちゅ位するよう呼びかけ、避難所への物資配布をサポートした。

彼は、「住民は私たちのような制服姿の人を見ると心が落ち着く。このような声で、あまり話さなくていいと言ってくれる人もおり、感動した」と話した。

地震により珙県公安局の事務所も激しく損壊した。記者が1階から5階まで歩いてみると、どの階にも破片が落ちており、外壁と耐力壁が接する部分の隙間は大きく開いている。巡場鎮派出所の事務所にも長い亀裂が入った。

 

 

622日、長寧地震から5日が経ち、合わせて20時間ほどしか眠っていない王さんはようやく帰宅した。台所は調味料が床にこぼれ、家の中はめちゃくちゃになっている。片付けている最中にまた地震があり、風呂にも入れず、片付けを終えずに王さんは派出所に戻った。

連日の余震に妻は怯えていた。四川地震の時、彼女は1人で家におり、向かいの病院が激しく揺れているのを目にし、そのトラウマが残っている。考えた末、王さんは妻を息子がいる重慶に生かせることにした。

 

2018年に喉頭癌の手術をした後、王さんは医師から「徹夜してはならない」、「放射線治療のために陽に当たってはならない」、「あまり話さないこと」の3つを言われていた。しかしここ数日、彼はこれらの言いつけをすっかり忘れていた。「現在の最大の望みはしっかり眠ること。しかし自分は警察官であり、この制服を着ているからには期待に背いてはならない」と王さんは話す。

王さんは孤独ではなく、災害を前に、「危険を自分で引き受け、安全をみんなに残す」という公安人民警察の共通の意志を持っている。連日にわたり救援の第一線で勤務し、警察官の制服を着て党の徽章をつけて闘う。彼らは余震や風雨があっても勤務し、街の巡回、交通整理、手続きサービスを行い、被災地の住宅地の秩序も維持している。

24日、珙県で雨が降り、王さんは「今日は夜中12時まで勤務しなければいけない」と、身なりを整えて再び避難所に向かった。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2019625

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