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古の姿がよみがえる 永定門

 

もとの姿を再現

 

永定門の城楼から北を眺めると、正陽門の箭楼が見える
 「現在の永定門は再建されたものですが、国家級の文化財であることは変わりません。新しい永定門は明の城門の姿を完全に再現し、当時の人々の知恵や建築理念を反映しています」と語るのは、80歳を超える著名な古建築専門家の羅哲文さん。

 

羅さんはこれまで、文化財の保護作業に携わるなかで、大量の古建築物を測量・調査し、それらの保護に関する意見を数多く提出してきた。永定門の取り壊しと再建も身近で体験した。取り壊しが決まったと聞いたときはまだ20代。あわてて自転車に乗って現場へ駆けつけ、ペンとカメラで永定門の様子を記録したと話す。

 

古建築家の羅哲文さん
 「当時、中国は経済力がなかったため、文化財の保護に多大な費用をかけられなかった。永定門が壊されると聞いたとき、とても残念に思いました。せめてもの記念にと思い、何度も城楼や城壁に登りましたよ」。羅さんが残した写真や記録は、昔の永定門を語る貴重な資料となっている。
 

羅さんはまた、永定門の再建に直接関わった。「私たちはまず、もとあった場所に永定門を再建しようと決めました。しかし実際に地盤を測量してみると、城楼の地盤だけがしっかりとしていて、甕城(城門の外を取り囲む半円形の小城郭)や箭楼(矢を放つ砦)があった場所は、移動させた堀に埋もれ、再建することは無理だとわかりました」

 

天橋広場にある彫塑。「天橋八大怪」の一つ「頂碗」


 当時、永定門全体をもとあった場所に再建するのは技術的に難しいから、場所を変えたほうがよいという人もいた。しかし専門家たちは文化財の真実性を保証するために、もとあった場所に再建することを固持した。そのため、城楼だけが再建されることになった。

 

再建の過程では、永定門の本来の姿を再現するため、材料や作り方に非常にこだわった。 昔の永定門を築いていたレンガは、取り壊された際、北京三台山危険品倉庫に運ばれ、そこの囲いに使われていた。そこで、永定門の再建が決まると、このレンガをもう一度もとに戻し、永定門の城楼を築いた。

 

2004年9月、新しい永定門が完成したとき、専門家たちから拍手喝さいが沸き起こった。北京の中軸線の起点がついによみがえったのだ。 羅さんは、「永定門の瓮城と箭楼を再建することができなかったのは残念ですが、城楼を昔のままに再現することができ、たいへんうれしく思います」と話す。

 

 
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