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5月14日、空中から撮った地震後の汶川県映秀鎮(震央) |
5月12日午後2時28分、四川省北西部の汶川県(北緯31度、東経103.4度)でマグニチュード8の大地震が起きた。この地震により、吉林省、黒竜江省、新疆ウイグル自治区を除く中国全土が揺れた。その影響はベトナムやタイにまでおよんだという。
廃墟と化した震源地
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5月13日、都江堰市の倒壊した家屋(写真・CFP) |
四川省北川県に住む涂文群さんは、小高い場所にある公園でお茶を飲んでいた。すると突然、地面が激しく揺れ、立っていることができなくなってその場に倒れた。
しばらくして立ち上がってみると、周囲の山が激しい勢いで崩れていた。「私の目の前で旧市街区が消滅していきました。あたり一面に塵埃が巻き上がり、谷底は真っ暗になりました」
涂文群さんは県城の広場に運ばれた。ここでは、3、4000人の人々が背中合わせに座ったままで一晩を過ごした。岩石が崩れる音がひっきりなしに響き、誰一人として目を閉じることができなかった。
北川県は中国唯一のチャン族(羌族)自治県だ。今回の四川汶川大地震で死傷者がもっとも多い地域の一つでもある。県城の建物の80%が倒壊し、人口1万3000人のうち、4000人あまりしか逃げ延びることができなかった。
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5月13日、子供の消息を待ち続けていた女性。難にあった生徒の遺体が運ばれてきたのを見ると、こらえきれなくなって駆け寄ろうとした |
北川県の県城はくぼ地にあり、周りは標高500メートルから1000メートルの山に囲まれている。県城と外界を結ぶのは一本の山道のみ。地震の発生後、県城に近い区間はねじ曲がり、路面の断裂の落差は数メートルにも達した。また、山崩れによる落石などで道路の一部は寸断され、さらに周囲の山からは絶えず落石があるため、県城は外界とほぼ断絶されて陸の孤島となってしまった。
県内の楊家街自由市場は、被害がもっとも深刻な場所のひとつである。地震によって平行移動してきた建物で押しつぶされ、その前後にあったいくつかの建物は影も形もなくなった。ここに店を構えていた向世勇さん(42歳)は、ちょうど別のところにいて難を逃れたが、店に出ていた妻は帰らぬ人となった。
地震発生時、北川中学の生徒たちは授業の最中だった。6、7階建ての校舎は崩れ落ち、人と同じぐらいの高さになってしまった。21あった教室の中にいた約千人の先生と生徒たちの多くがこの中に埋もれた。
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5月13日、震源近くの汶川県から30キロ離れた綿竹市漢旺鎮。町はめちゃくちゃに崩壊された(写真・IC) |
北川県で地震に遭遇した人によると、建物自体の揺れや崩れは言うまでもなく、もっと恐ろしかったのは山崩れだという。山崩れによって、山麓の建物はほとんど埋まり、その中にいた人は逃げる時間もなく、生き埋めになったのである。
震源近くの汶川県に位置する映秀鎮、漩口鎮、臥竜鎮などの八つの集落は、ほとんどが廃墟と化した。とりわけ映秀鎮は、人口1万人あまりのうち生き延びたのはわずか2300人あまりだった。
都江堰市から映秀鎮までの道路は全線が麻痺状態に陥り、映秀鎮に入るために必ず通らなければならない白花大橋は、完全に崩れ落ちた。
交通が寸断されたため、被災地の食料や薬、飲用水、そして救急器具は極度に不足した。人々は戸板やはしご、タンスの板を担架の代わりにして死傷者を運び、被災者たちは木の板を使って臨時の避難所を作り、生存者たちは水源を探し求めた……。
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5月13日、北川県曲山鎮の地震発生後の様子。まるで戦争に襲われた後のようだ(写真・ロイター) |
そのうえ、余震も絶え間なく発生。5月19日午後1時までに、地震発生地域で起こったマグニチュード4以上の余震は155回、マグニチュード5以上の余震は24回に達した。もっとも大きな余震はマグニチュード6.1だった。
四川省のほか、震源地から比較的遠い陝西省の西安市や甘粛省の一部でも死傷者が出た。32年前の唐山大地震に比べると、今回の四川汶川大地震のほうがマグニチュードの値は大きく、影響がおよんだ面積や被災面積などもはるかに広い。
5月22日19時の時点で、四川汶川大地震による死亡者は5万5239人、負傷者は28万1066人に達している。
【汶川県の概要】
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地震前の汶川県映秀鎮 |
汶川県は四川盆地の北西部にあり、アバ・チベット族チャン族自治州(阿壩藏族羌族自治州)の東南部を流れる岷江の両岸に位置する。アバ州の南の玄関口であり、禹の故郷とも伝えられている。
四川省の省都・成都市からは北西に約159キロの距離にある。面積は4084平方キロ、人口は10万6119人(2005年現在)。チャン族が集まり住んでいる4つの県のうちのひとつで、「チャン族の刺繍の郷」とも呼ばれる。南西部には国家級の自然保護区・臥竜パンダ自然保護区があり、パンダ研究の中心地となっている。
地震発生の原因は?
汶川県でなぜこんなにも大きな地震が発生したのか。なぜ被災地域がこんなにも広いのか。中国地質調査局は観測・研究結果に基づき、次のような三つの初歩的な結論を出した。
(一)インドプレートがアジアプレートの下にもぐり込み、青藏高原が急速に隆起
インドプレートがアジアプレートの下にもぐり込んだため、高原の物質がゆっくりと東へ流動し、高原の東端の竜門山断層帯に沿って東に押し出された。その後、四川盆地の下の固い断層地塊に遮られ、構造応力のエネルギーが長期にわたって蓄積した。そして最終的に竜門山の北川・映秀地域で突然放出された。
(二)右旋・圧縮型の逆断層地震
地震を引き起こしたのは竜門山断層帯で、圧縮応力により南西から北東へ逆断層が生じた。今回の地震は単走行の破裂地震で、南西から北東へ移り、余震も北東に向って広がった。圧縮型の逆断層地震は本震後の応力の伝わりと放出が比較的遅いため、長時間続く大きな余震を引き起こす恐れがある。
(三)浅い震源
今回の地震の震源は深さ10~20キロと浅かった。震源が浅い地震は、震源が深い地震に比べると威力や破壊力は大きいが、地震波はそんなに遠くまで伝えられない。しかし今回の地震の揺れは、中国のほとんどの省・自治区・直轄市、さらには隣国にまでおよんだことから、その強さがわかる。
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地震により崩れ落ちた都江堰市から汶川県を結ぶ高架道路。震災救済の生命線であるこの道路が寸断されたことにより、救助隊や医療生活物資が入るのが遅れた。写真は5月14日の様子 |
5月14日、貴州省から駆けつけた消防隊員。綿竹市漢旺鎮で倒壊した建物の中から生存者を捜す |
経済におよぼす影響は?
四川汶川大地震が中国の経済成長に与える影響について、各方面は重大な関心を寄せている。これに対して、今回の地震の影響が中国経済に与える影響はあまり大きくないというのが、エコノミストたちの一般的な見方だ。
JPモルガン・チェース中国区のエコノミストである王黔氏は次のように分析する。
今回の地震が中国のマクロ経済に与える影響は、中南部で起きた雪害に比べるとはるかに小さく、夏に南部で頻繁に発生する一般的な規模の洪水よりも小さい。製造業や農業生産の面からいうと、南部は中国にとって非常に重要な地域である。そのため、雪害や洪水は中国全域に影響がおよび、農業生産量が減少し、交通や電力供給の面でも深刻な被害をもたらした。しかし、今回地震が起きた四川省のGDPは全国の4.2%、工業生産値は2.5%に過ぎず、輸出額も0.2%に満たない。
リーマン・ブラザーズのエコノミストである孫明春氏は次のように見ている。
地震は大きな破壊をもたらしたが、被災地の復興作業は少しずつ進んでいる。中国は速やかに立ち直ることができるだろう。1995年の阪神大震災は、一時的に日本の工業生産活動に影響を与えたが、数カ月後には速やかに回復した。ただし、最近の世界的な米不足の状況は、地震の発生によりさらに加速されるかもしれない。これにより米価格が上昇し、中国の食品価格の上昇も引き起こす恐れがある。
シティグループ中国区のチーフエコノミストである沈明高氏は次のように指摘する。
主な被災地、つまり四川省、甘粛省、陝西省、重慶市、雲南省、山西省、貴州省、湖北省の人口は全国の26.7%を占めるが、GDPは18%に過ぎないため、中国経済への影響は大きくない。ただし、出稼ぎに行っている四川省出身の農民工の多くは、故郷に戻って救援活動をしたり、身内を探したりするため、沿海地域の労働力不足が加速される恐れがある。すでに大幅に上昇している生産コスト、とくに人件費や原料費に大きな影響が出る。これにより企業の利益が縮小し、インフレの懸念が高まる。
中国国内の大手証券会社、中信証券による初歩的な予想は、先に述べた外資系金融機関の楽観的な考えとは少し異なる。
2008年の中国の経済成長率は0.2ポイント、工業生産値の伸び率は0.3ポイント下がるだろう。また、全国の消費額も0.6ポイント下がる。その一方、震災後の復興は投資を刺激し、投資額の伸び率は0.3ポイントほど上がる可能性がある。(0806)
人民中国インターネット版 2008年7月
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