12日
14時28分 四川省汶川県でマグニチュード8の大地震が発生(発生当初7.8と発表される)。
15時ごろ 汶川駐留の人民解放軍と武装警察の部隊が救助活動を開始。
15時55分 胡錦濤国家主席が重要指示を出し、温家宝総理が被災地に向う。
同日夜 胡錦濤主席が中国共産党中央政治局常務委員会会議を招集、全面的な「抗震救災」活動を手配。
夜間 民政部と財政部とが共同で四川被災地に2億元支給を決定。
深夜 某高射炮団の20人の偵察分隊が先陣として汶川地震被災地に入る。
24時には 2万人近い人民解放軍の兵士と武装警察の隊員が被災地で救助活動を展開。
13日
1時 汶川に入った救助隊員が外界と衛星電話で連絡。
3時ごろ 1万人あまりの人民解放軍兵士及び武装警察隊員が集合。道路が崩壊し、車が通行できない状況の中、一部の兵士と隊員が徒歩で汶川に向かって出発。
4時 アバ軍区機関の幹部及び医療救助チーム85人が、32キロの距離を6時間に及ぶ夜を徹した徒歩で理県の県城に到着、救助活動を行う。人民解放軍兵士及び武装警察隊員が続々と到着。都江堰、理県、茂県から汶川にいたる道路の損傷が深刻なため、通行に困難を極める。
7時 温家宝総理が、汶川への命の道路を必ず開通させるよう指示。
21時 人民解放軍と武装警察部隊5万人あまりが救助活動に参加、一部の軍隊が震源近くの被災地に入り、救助活動を展開。
23時15分 武装警察駐四川某部救助第1梯隊の200人の隊員が理県を経由する90キロの強行軍で、第1陣が汶川の県城に到着。
14日
未明 成都軍区先鋒隊の30人あまりが、雨の中を徒歩で震源近くの汶川県の中でも被害の深刻な映秀鎮に入る。
8時 汶川県城に1000人あまりの兵士や隊員が集合して救助活動を展開。後続部隊も続々と到着。
9時 マルカム(馬尓康)から理県の県城までの47キロの道が開通。
9時20分 成都軍区某紅軍師500人の兵士が被害の深刻な被災地茂県に入って救助活動を展開。
10時20分 ヘリコプター2機が震源近くの汶川県上空に飛び、着陸に成功。さらに多くのヘリコプターが次々に汶川県に食品などの救援物資を投下。
正午 15人の兵士が上空からパラシュートで茂県に入る。
13時 救助隊員が四川省のすべての被災県に入る。
18時 落下傘隊が入った後の初めての大部隊、武装警察重慶総隊の前方救助部隊500人が茂県に到着。
夜間 成都から理県までの道路の一応の交通が回復。理県の固定電話もほぼ回復。同じ頃、北京、上海、天津、広州など各地で献血、義捐金に人々が列を成す。
15日
12時 汶川に通じる西ルートの道路が開通し、理県から汶川県まで前進。
午前 四川汶川大地震被災地の救助隊員によってこれまでに救助された人が6万人あまりとなる。地震発生70時間後、汶川県の通信がほぼ正常通り回復し、外界との連絡が可能に。
21時 理県から汶川へ入る道路が全面開通、救援物資と救援車両が汶川へ直行できるようになる。
21時25分 日本の国際緊急援助隊の第1陣31人が北京に到着
16日
未明 日本の国際緊急援助隊の第1陣が成都に到着、7時間後青川県に到着
9時 被災状況がもっとも深刻な四川省の8つの県の外部との通信がほぼ回復。
午前 胡錦濤主席が四川省の被災地に到着。
16時までに 四川汶川大地震による被災者は死者2万1577人、負傷者15万9006人、生き埋めとなっている人が1万4000人あまりとなる。
この日 映秀鎮周辺の58カ所の交通が遮断されていた集落に救助隊が入る。被災状況のもっとも深刻な北川県へ向かう道路が全線開通。理県から汶川に100トンの米が運ばれる。空から投下されたものを除き、震源近くの汶川に初めて食料が運び込まれる。台湾からの救助隊が駆けつけ、救助活動に加わる。
17日
13時までに 民政部は各被災地にテント18万1460張、布団22万枚、綿入れ17万着を調達。国内外からの義捐金と支援物資が計60億2300万元にのぼる。
14 時までに 四川汶川大地震による被災者は死者2万8881人、負傷者19万8347人にのぼり、50万ムー(1ムーは6.667アール)あまりの農作物が被害を受ける。
16時 成都市の通信がほぼ回復。
17時30分 国道213号線の都江堰から映秀までが全面開通、被災状況のもっとも深刻な地域につながる2本目の「命の道路」となる。
この日 四川省汶川県で救助活動中の済南軍区の4000人の兵士が、56人の生存者を救出。汶川県に到着した胡錦濤主席が救助活動を指揮、被災者を慰安。四川省70%の被災城鎮(町)はほぼ給水が回復。日本の国際緊急援助隊の第2陣29人が青川県に到着。
18日
0時までに 被災地のすべての県、郷に医療救助隊が到着。
1時08分 四川省江油市でマグニチュード6の余震が発生。
9時15分 北川県で139時間生存者の唐雄さんが救出される。
12時までに 国内外からの義捐金及び支援物資が合計89億4500万元にのぼる。
14時までに 四川汶川大地震による被災者は死者3万2477人、負傷者22万109人となる。詳細な測定の結果、四川汶川大地震のマグニチュードが7.8から8に修正される。
14時28分 多くのインターネットサイトが「汶川大地震被災者ネット追悼活動」をスタート。
20時 中央テレビ局は「愛の貢献—2008年抗震救災大型募金イベント」を行い、生中継の放送時間内に15億1429万元の義捐金を集める。
20時10分 映秀鎮に150時間生き埋めになっていた虞錦華さんが、56時間にわたる救助活動の末、無事救出される。
この日 国務院は5月19日~21日を「全国哀悼の日」と決定、公布。
19日
4時57分40秒 北京天安門広場で哀悼の半旗が掲げられる。
14時28分 全国民が3分間の黙祷を捧げる。
20日
0時50分 汶川県映秀鎮で、生き埋めになっていた男性が178時間22分ぶりに救出される。国連安保理が犠牲者に哀悼の意を表し、1分間の黙祷。
未明 北川県を封鎖。
18時までに 四川省でもっとも被害の深刻な439の郷鎮(町)のうち、393の郷鎮(町)の交通が回復。被災地の一部学校では授業が再開され、被災地の人々も続々と操業を再開。
18時45分 彭州市で生き埋めになっていた60歳の女性が196時間ぶりに救出される。
21日
12時までに 四川汶川大地震の被災者は死者4万1353人、負傷者27万4683人、行方不明者3万2666人となる。
14時30分 生き埋めになっていた2名が216時間ぶりに救出される。
この日 北川県城で最後の徹底捜索が進められる。国連が四川汶川大地震被災地に800万ドルの緊急援助。
四川汶川大地震統計データ (5月22日19時まで)
●地震による死者5万5239人、負傷者28万1066人、行方不明者2万4949人。
●国内外から寄せられた義捐金214億1600万元。
●被災地に送られた救援テントは計40万3340張、布団230万5884枚。
●マグニチュード4以上の地震を観測したのは計167回。そのうちマグニチュード5以上は26回、マグニチュード6以上は4回。
●14万人あまりの救助隊員、4万8680人の医療スタッフによって、8万3988人が瓦礫の中から救出された。
●地震によって深刻なダメージを受けた建物は593万2500棟、倒壊した建物は546万1900棟となり、数百万人が帰る家を失った。
●中央政府、地方政府が投入した救援資金は139億7500万元。中央財政は700億元をあてて震災後の復興再建基金を設立。
●被災地の道路の被害は2万8829キロに達し、すでに1万9645キロが修復、開通。倒壊した橋は3053本。
●中国政府は、3カ月間にわたって被災地の人々に毎日一人当たり500グラムの食糧と10元の補助金を支給することを発表。また、災害によって「三孤(孤児、身寄りのない老人、身寄りのない身体障害者)」となった人々に毎月一人当たり600元の補助金を支給。(0806)
人民中国インターネット版 2008年7月
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