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経済苦境の中の農民工たち

 

やはり都会で働き続けたい

6月23日、国家統計局が発表したデータによると、 中国の3、4、5月の工業生産はそれぞれ8.3%、7.3%、8.9%成長した。 現在、中国経済はすでに底を打って回復軌道に乗り、 企業は次第に活力を回復しつつある、と専門家は分析している。 農民工にとって企業の募集情報は、軍人の「召集ラッパ」のようなものである。 再び現れた就職のチャンスを前にして、 いったん帰郷した7000万人の農民工のうち、 ほぼ80%以上が都市に帰ってきた。 そしてそのうちの4500万人がすでに仕事を見つけたのである。

派遣企業の浮き沈み

2009年2月、湖北省宜昌市で開催された、帰郷した農民工に対する大型の就職説明会。1万以上の求人があった。こうした就職説明会は、全国各地で催されている(新華社)
「いま、うちの会社の農民工は売り手市場になっている。あと10000人来ても、仕事はあるよ」と、労働者の派遣業をしている深圳市全順労務派遣公司の張全収社長は興奮気味に言った。一時はばったり求人がなくなったが、今また農民工の就職情勢は好転し、会社は労働者が足りなくなって、急いで多くの農民工を募集している。かつては「農民工の司令官」と呼ばれていた張さんだが、いままたその称号を回復した。

40歳になる張さんは河南省の出身で、学校を中退し、小さいころから出稼ぎに出た。1990年代、彼は単身、深圳市にやってきて、チャンスをうかがった。2001年、ちょうど珠江デルタ地帯で農民工の不足が起こったとき、玩具工場を経営していた張さんは、「全順労務派遣公司」を設立し、出稼ぎ労働者の職業訓練を専門に行った。現在、「全順」は、全国の農民工を訓練し、職を提供する基地の一つとなっている。 張さんはかつて有名な「張全収モデル」を打ち出した。これはまず農民工を募集し、工場からの求人があれば、労働者をそこへ派遣する。仕事がないときは、農民工に無料で食事や宿舎を提供し、職業訓練を施すうえ、給料も支給するという方式である。農民工を派遣した「全順」は毎月、一人当たり100元から200元までの管理費を工場から支払ってもらう。 こうした方式で多くの農民工を抱え、多いときには10000人以上に達した。だから彼は「農民工の司令官」と呼ばれたのだった。そして「全順」の営業成績は、珠江デルタ地帯の農民工の就業状況のバロメーターとなったのである。 ところが、昨年11月から、張さんの眠れぬ日が始まった。多くの農民工が工場から戻され、新しく来た農民工も工場へ派遣できない。会社に溜まっている農民工がますます多くなった。彼は初めて金融危機の襲来を肌で感じ、寒気がした。 春節になってから、張さんはずっと忙しかった。ほとんど毎日、自分の会社の農民工を工場へ売り込んだ。春節の15日までに、「全順」から派遣した農民工は3000人足らずで、1日当たり400人足らずであった。これは例年の3分の1以下だった。

河南省安陽市から来た農民工は、北京オリンピックのメーンスタジアム「鳥の巣」建設の主力となったばかりでなく、国家大劇院などの北京を代表する建物を建設した(東方IC)
世界的な金融危機の影響で、「全順」が抱える農民工は、もっとも少ないときには2000余人しかいなかった。この危機を乗り越えるため、彼は自ら600万元以上を出資し、仕事のない農民工の職業訓練をし、最低保障の給料を与えた。 張さんによると、今年の春先、珠江デルタ地帯では農民工の需要は明らかに減り、「以前、うちと協力関係にあった企業は100社以上あり、常時協力していた企業は2、30社あったが、今年は数社しかない」という状態になった。 だが今年4月1日から、就業状況は明らかに好転した、と張さんは感じている。張さんによると、現在、多くの工場で残業が始まった。賃金は基本的に毎月1200から1500元のレベルに達しており、そのうえ食事と宿舎が提供されている。 業種別に見ると、もっとも回復しているのはハイテク電子企業で、「全順」の農民工の多くが電子関係の工場に行っている。また靴製造の工場も元気を回復し始め、労働者はだんだんと増えているという。 こうした張さんの感覚は、根拠のないことではない。今年初め、広東省の農民工の就職情勢は非常に厳しかった。東莞市を例にとれば、1、2月に労働者を募集した企業は約7000社で、昨年同期比で36%減少し、企業の求人数は昨年同期比で約20%少なくなった。これまで長い間、こうした就職難はなかった。

それに対し、広東省政府は、農民工の権利を守り、起業を手助けするなどの政策の情報を農民工に伝え、1万回以上の無料の農民工向け就職相談会を開催した。これらの措置は農民工にとって良い就職環境をつくり出し、労働市場にも回復の兆しが現れた。

広東省労働・社会保障庁の情報によれば、第1四半期、広東省の就職状況は経済とともに回復し始め、同省の都市と農村で新たに41万2000人が就職した。これは全国の新規就職者の15.37%を占め、人数では全国1位である。 5月から、東莞市の企業の稼働率と生産状況はいずれも好転し、求人数は30%以上増え、労働市場に持続的に回復する兆しが見えてきた。最近は、展示会や交易会に参加することによって、注文が増えた業種があり、企業の募集規模も大きくなり、1回で5、60人を募集する企業も少なくない。

「これからますますよくなると信じている」と、張さんはさらに多くの農民工を招くことを考えている。「『農民工の司令官』を続けて行きたいのさ」と彼は言った。

故郷に耕す土地はない

2009年3月、四川省成都市では、「科学技術による農業振興」によって、帰郷した一部の農民工がもう一度、農業をするようになった(東方IC)
25歳の羅中順さんは安徽省郎渓県の農民である。北京に出稼ぎに来てからもう4、5年になる。もともと彼は建設工事の電気工としてずっと働いてきたが、昨年末に、雇い主から、建設工事の請負が取れないから、来年からはもう来なくていいと言われた。

「金融危機はどういうものか、私には分かりませんが、ただ仕事がなかなか見つからないということだけは感じています。今度、故郷に帰ってみると、村から出稼ぎに行っていた多くの人がみな失業したことが分かりました。北京にいた私の方がまだましのようです。少なくとも春節まで働けましたから。江蘇省や浙江省で働いている人たちは、とっくに故郷に帰っていました」と羅さんは言った。

「現在、私の村では農作業をする人は誰もいません。みんな出稼ぎに行くからです。私も今度、故郷に帰ってから、自分の田畑の麦やアブラナの世話をするほかは、何もすることがないので、早目に北京に戻り、仕事を見つけることにしたのです」

なかなかすぐれた電気工の腕を持つ羅さんは、それまで職がなくて困ったことはないという。しかし今年は、やや寂しくなった北京の街を目にして、どうしたらいいか分からなくなった。「どこへ行って仕事を探せばいいのか分かりません。最初に北京に来て仕事したときは、同郷の人の紹介でした。蘇州街には、求人市場があるようですが、行ったことがないから、ちょっと心細いのです」と羅さんは言う。彼はとりあえず、求人情報の載っている新聞から、自分に向いている仕事があるかどうかを探そうと思っている。

2009年5月、河南省南陽市では、30余人の帰郷した農民工が、地元の鉛筆工場に就職した。帰郷した先で再就職させるのは、農民工の就職問題を解決するうえで有効な措置である
現在、農民に対する優遇政策は少なくない。「万一、都会で就職できなかったら、田舎に帰って農作業をやりますか」と尋ねると、羅さんはきっぱりとこう答えた。「帰りません。田舎の自分の田畑はすべて他の人に請負ってもらっているし、面積も狭いから、たとえ自分で耕しても収穫はせいぜい自家用の食糧くらいで、いくらもお金は稼げません。けれども都会には、じっと居さえすれば、お金を稼ぐ望みがあります」

就職が見つかるかどうかはわからないが、羅さんは「田舎を出るしか活路がありません。都市の若い人は辛い仕事や力仕事に耐えられないが、私は何でもやれます。これが私の最大の競争力です。苦労さえ恐れなければ、いずれ仕事が見つかると信じています」と言った。

北京には、羅さんのような農民工は少なくない。金融危機の影響によって、昨年9月から今年の初めにかけて、北京の労働力市場のニーズは月ごとに減少した。北京市の労働部門の統計データによると、現在、北京にいる農民工は369万人で、そのうち「再び元の職場に戻る人」や「確かな就職先がある人」は90%を占めているものの、残りの10%は、就職のアテがないのに自ら進んでやってきた人たちだった。このうち3月中旬までに、就職できなかった人は20数万人にのぼる。

都市に戻った農民工の就職を支援するために、北京市の関係部門は飲食やサービス、製造業など、農民工に適した13万の働き口を選んで、汽車の駅や長距離バスの停留所など農民工が集中する場所で、「2009北京春風活動」を展開した。市労働保障局や市総工会(労働組合)、市、区、県各レベルの13の職業紹介機構がここに「屋台」を並べ、北京へ職さがしにやってきた人たちに、就業政策のコンサルティングや求人登録、職業指導などのサービスを直ちに提供する。

以前と違うのは、北京市の労働部門がとくに農民工のために、各区や各県の職業紹介センターの詳しい場所や電話番号、受付時間帯などが載っている日めくりカレンダーを1万部以上つくったことだ。これは「求職マップ」と名づけられている。このほか各区・県は100回以上、農民工のみを対象にした、就職説明会を開き、彼らが就職できるよう支援した。

北京が打ち出したこうした措置は、中華全国総工会が提唱した「幾千幾万の農民工を援助する活動」の一部分にすぎない。広州、上海、深圳など農民工が集中するところでもすでに、就職支援を重点としたさまざまな総合的援助策が実施されている。

「育嬰師」がブームに

2009年5月6日、安徽省巣湖市で、帰郷した100人あまりの女性農民工が養成訓練を終え、「育嬰師」の資格を得た。これは農村の女性が就職するうえで、大きな武器となる
今年46歳になる孫文秀さんは、山東省聊城の農村から来た女性である。春節明けに、彼女は20人あまりの女性たちとともに北京に着いたばかりで、それぞれ雇い主の下に引き取られた。毎月、3000元以上の給料をもらうほか、雇い主からも尊敬されている。こうした待遇を受けられるのは、特別の訓練を受け、国の定めた「育嬰師」の資格を持っているからだ、と孫さんが言う。

孫さんは、最初に農村から仕事を探しに来たときは、よく断られた。その後、同郷の人に勧められて、ある家政公司の「育嬰師」の養成訓練に参加した。ここで専門的な技術指導を受け、嬰児や幼児を世話する技能を身につけた。

孫さんが入った家政公司はすでに多くの「育嬰師」を養成してきた。現在、農民工の就職がたいへん難しくなっているときに、こうした「育嬰師」の養成訓練を受けた農村の女性たちはかえって自分の将来に対し、意欲満々である。というのは、春節後に、まだ済南で訓練を受けていた「育嬰師」たちは、北京の雇い主からすべて雇用の予約が入っているからだ。

北京市の労働部門が全市の農民工の就職情報をまとめたデータによると、現在、北京のレストラン、ホテル、警備、清掃、家政などの昔からあるサービス業は依然として求人が多いが、こうした仕事にはなかなか人が集まらない。その原因は、こうした仕事は単純で、あまり将来性はなく、それに給料も低く、多くの若い人はこうした仕事をやりたがらないからだ。このため、一方で多くの農民工は仕事が見つからないが、もう一方で、一部の職場では、適当な従業員を雇用できないという状況になっている。

農民工の就職を効果的に援助するため、北京市は農民工に適した職場を集めて、募集したい企業と応募したい農民工の情報をドッキングさせ、同時に、農民工に対しその職にかなった職業訓練を施し、農民工の能力を高めることにしている。現在、北京市はすでに、河北、河南、四川、重慶などの労働力を大量に輸出する省や直轄市に、100以上の労働力供給基地を設置した。これらの基地は、北京市の雇用情報に基づいて、北京へ行きたいと望む農民工に対し、求人先の要望に合致する職業訓練を施し、その後、北京の企業が直接、彼らを受け入れる。

統計によると、現在、全国の家政サービス市場は、1000万人以上の人手が足りないという。6月19日、「幾千幾万の農民工を援助する活動」の重要な一環として、中華全国総工会は、「家政サービス就職促進プロジェクト」を正式に始動した。6月18日、湖北、河南、安徽、広西から来た第1期の農民工千人が北京に着き、ただちに家政サービスの職場に向かった。今年、このプロシェクトは、家政サービス業に従事しようとする20万人の農民工を無料で養成し、その就職率は90%以上に達する見込みである。

 

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