中国が「サンフランシスコ講和条約」に反対する理由とは

2025-12-23 09:36:00

清華大学国際関係学部教授、北京外国語大学「長青学者」 劉江永 

「サンフランシスコ講和条約」は、1951年9月8日に米国をはじめとする48カ国と日本が米国のサンフランシスコで署名し、翌年4月28日に発効した条約である。同条約は戦後の日本の領土に関して、「日本国は、台湾および澎湖諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄する」と定めているが、「カイロ宣言」の規定に基づいて中国に返還するとは言明していない。これは米国政府が朝鮮戦争の勃発と中華人民共和国成立後、台湾問題に関する当初の立場を変更し、みだりに「カイロ宣言」を破壊した誤った行為である。 

「サンフランシスコ講和条約」が日米両国にとって何を意味するにせよ、中国の占領された領土の帰属問題に関わることであり、またカイロ宣言の関連規定を改ざんしているため、同条約は中国にとって違法かつ無効であり、決して受け入れられない。 

(一)「サンフランシスコ講和条約」は、起草と署名に参加していない中国には適用されない 

日米などの「サンフランシスコ講和条約」署名国は、同条約の適用範囲にすべての非署名国は含まれないと認定している。日本は「サンフランシスコ講和条約」に加盟していない関連国とも、二国間の講和条約を締結しなければならない。「サンフランシスコ講和条約」第26条「二国間の平和」は、「日本国は、1942年1月1日の連合国宣言に署名し、もしくは加入しておりかつ日本国に対して戦争状態にある国、または以前に第23条に列記する国の領域の一部をなしていた国で、この条約の署名国でないものと、この条約に定めるところと同一の、または実質的に同一の条件で二国間の平和条約を締結する用意を有すべきものとする」と規定している。したがって、日本政府が「サンフランシスコ講和条約」を法的根拠として中日両国間の領土画定問題を認定・処理することは、中日関係の法的基礎に違反する疑いがあるだけでなく、「サンフランシスコ講和条約」そのものの明文規定にも違反している。 

中国が参加していない「サンフランシスコ講和条約」に、中国の領土範囲を決定する権利はない。同条約第2条は、日本が台湾および澎湖諸島に対するすべての権利、権原および請求権を放棄すると定めているが、台湾を中国に返還しなければならないとは定めておらず、その結果、日米間でいわゆる「台湾地位未定論」が形成された。これは「カイロ宣言」および「ポツダム宣言」に完全に違反するものである。そのため、当時の周恩来中国外交部長は1950年から再三声明を発表し、「サンフランシスコ講和条約」は違法かつ無効であると指摘した。 

1951年9月18日、周恩来外交部長は声明を発表し、「日本帝国主義に抵抗しこれを打破する戦争で、最も長期間悪戦苦闘をつづけるうちに、中国人民は最大の犠牲をはらい、また最大の貢献をしてきた。それにもかかわらず、米国政府はあらゆる国際協定に公然と違反し、中華人民共和国を除外し、1951年9月4日に一方的に主催するサンフランシスコ会議を開催し、9月8日に同会議で対日単独講和条約に署名した。わが全国人民はこれに対して憤慨と反対を表明している」と述べた。 

(二)中国政府は、「盟国一致」の対日講和原則に違反する米国の行為に反対している 

1942年1月1日、中米英ソを中心とする26カ国の反ファシズム国家がワシントンで「連合国宣言」に署名した。その中で、「各政府は、本宣言の署名国政府と協力することおよび敵国と単独での休戦または講和協定を結ばないことを誓約する」と規定されている。だが、1951年に米国は上記の原則に違反し、中華人民共和国政府を承認せず、ソ連など諸国の反対または棄権にかかわらず、「サンフランシスコ講和条約」の締結を強行した。米国の政治とイデオロギーによって操作されたこの条約の締結の過程と方法は、明らかに手続きの公正さ(プロシージャル・ジャスティス)に欠けている。当時の周恩来外交部長はこの一方的な措置を「完全に違法で、全く道理がない」と強く非難した。 

1950年12月4日、周恩来外交部長は中華人民共和国政府を代表して対日講和条約問題に関する声明を発表した。同声明は次のように強調している。「1931年9月18日以来、日本帝国主義は武力で中国を侵略し、わが国の広大な領土を蹂躙し、わが国人民の生命財産に重大な犠牲を与えた。中国人民は8年間の勇壮な抗戦を経て日本帝国主義を打ち破り、抗日戦争に勝利を収めた。したがって、対日講和条約の準備、起草および署名に、わが中華人民共和国政府の参加が不可欠なのは当然のことである…… 対日講和条約の準備と起草に中華人民共和国の参加がない場合、その内容と結果がいかなるものであっても、中央人民政府はこれをすべて違法であり、したがって無効とみなす」とした。同時に、「連合国宣言」「カイロ宣言」「ポツダム宣言」などの「米国政府が署名したこれらの国際文書は、共同の対日講和条約の主要な基礎である」と表明した。 

(三)中国の参加がなく起草・署名された「サンフランシスコ講和条約」は違法かつ無効である 

1951年8月15日、当時の周恩来外交部長は条約草案に関して再び声明を発表し、草案は日本が台湾および澎湖諸島に対するすべての権利を放棄すると定めているが、それらを中国に返還するとは一言も書かれていないことを非難し、中国領土である台湾地区の米国による占領長期化の目的があると指摘した。条約草案が日本は南威島および西沙諸島に対するすべての権利を放棄すると定めているが、主権返還問題については故意に言及していないことについて、米英の対日講和条約草案にどのように規定されているかにかかわらず、これらの島しょにおける中国の不可侵の主権はいかなる影響も受けないと表明した。 

周恩来外交部長は 1951年8月15日の声明の中で、「対日講和条約の準備、起草および署名に中華人民共和国が参加しない限り、その内容と結果がいかなるものであっても、中央人民政府はこれをすべて違法かつ無効と認定する」と重ねて言明した。1951年9月8日に「サンフランシスコ講和条約」が署名された後、周恩来外交部長は同年9月18日に再び声明を発表し、「サンフランシスコ講和条約」を「絶対に承認することはできない」と表明した。 

(四)「サンフランシスコ講和条約」は中日関係に恩恵をもたらしたことはない 

「サンフランシスコ講和条約」の署名から70年以上が経過したが、同条約が中日関係にプラスの影響をもたらしたことは一度もなく、むしろ中日間の構造的矛盾を引き起こし、ひいては激化させてきた。冷戦時代において、日米両国政府が中華人民共和国政府を承認せず、中国を「サンフランシスコ講和条約」の署名から排除した後、いわゆる「日華平和条約」を締結したからこそ、中日国交正常化の遅れを招いた。日本政府の一部の人々が釣魚島問題において、「カイロ宣言」および「ポツダム宣言」の代わりに「サンフランシスコ講和条約」を根拠としているからこそ、中日間の釣魚島帰属に関する認識の根深い対立が生まれた。さらに、日本の右翼勢力が「サンフランシスコ講和条約」を利用して「条約の発効後、日本に戦犯は存在しなくなった」と喧伝し、首相の靖国神社参拝を支持しているからこそ、中日関係の悪化を招いているのである。 

人民中国インターネット版

 

関連文章