仏教と道教が共存する場所

 鮮魚市場を離れ、環巣湖大道に沿って北西へ1時間ほど車を走らせ、中廟寺に到着した。この寺は巣湖の北岸に位置しており、地図上で見れば、ちょうど元宝のへこんだ部分に当たる。巣湖市と合肥市がそれぞれ東側と西側にあり、その中間に位置していることから、「中」廟寺と名付けられた。

 巣湖は周辺住民にとって、生活を支える恩人のような存在だが、特に治水技術が発達していなかった時代、増水期に起こる洪水が漁民を困らせていたのも事実だ。そのため先人たちは、湖のほとりに中廟寺を建て、水神「聖姥娘娘」を祭り、漁の無事を祈った。仏教や道教に詳しい人は、こんな疑問を抱くかもしれない――なぜ道教の「廟」と仏教の「寺」が同時に名前にあるのだろうか?

 昔、巣湖周辺は水の少ない丘陵地帯だった。土地は痩せており、干ばつに見舞われることも多かった。その状況に同情した白竜は、勝手に雨を降らし、天上の最高神である天帝から罰を受けたが、運よく焦姥という地元農家の女性に助けられた。ある日、白竜は、天帝がここを陥没させて湖にしようとしていることを知り、恩返しとしてそのことを焦姥に教えた。村民は焦姥に説得され無事に逃げたが、脱出が最後だった彼女は犠牲になってしまった。これは「陥巣州(巣州を陥れる)」という神話の物語だ。こうして、村民は焦姥を女神とあがめ、巣湖近くの寺に祭るようになった。南宋時代(1127年~1279年)、焦姥は道教の女神・碧霞元君と融合し、「聖姥娘娘」になった。1889年には、清の大臣・李鴻章がその建物を修繕した。その時、仏教的要素が導入されたため、そこは仏教と道教が一体化した場所となった。女神が祭られ、さまざまな宗教の特徴を取り入れている点は、中国の南東沿海地域に分布している媽祖や、香川県の金刀比羅宮などと似ている。漁業活動の需要に応じて生まれた水神・海神信仰は、アジア全体に広がっている。

 中廟寺に近づくと、灰褐色の門と仏教の言葉が刻まれた赤い壁がまず目に入った。門の前には、道教の法器「幡」をつるすための長いさおが2本そびえ立っている。仏教文化と道教文化の融合をここから垣間見ることができる。

毎年旧暦の418日から1週間、中廟寺は「廟会」(日本の縁日に当たる)を行っている。この行事は、碧霞元君の誕生日を祝うために線香をたき、平穏無事を祈った風習が由来だ。現在、廟会はすでに合肥市の無形文化遺産になっている。評判を聞いて訪れた地元市民や観光客は、そこで現地の水産物を買ったり、巣湖の伝統的な地方劇「廬劇」を鑑賞したりする。

 

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