日月山が有名なのは、吐蕃に行った文成公主の美しい伝説のお陰だけではない。実のところ日月山は中国の自然地理において非常に重要な境界線でもあるのだ。それは中国の外流区(直接または間接に海に流れ込む河川の流域)と内流区(最終的に内陸湖に流れ込むか断流する河川の流域)の分水嶺であり、青海チベット高原と黄土高原、モンスーン地域と非モンスーン地域、青海の東部農業地域と西部牧畜業地域の自然の境界線でもある。
夏に日月山を訪れ、晴れ渡った空の下ではるか遠くまで見渡すと、東西で景色が全く異なることに気づくだろう。東側には、あぜみちや畑があり、村落が点在して、辺境の江南といった風情だ。一方西側は、見渡す限り青々と牧草が茂り、ウシやヒツジが群れる塞外の景色が広がっている。山の両側でこれほど大きな差があるのは、実に珍しい。 日月山の中腹にある日亭と月亭に、高原の風がひゅーっと吹いてきた。遠くに目をやると、雪をかぶった日月山の主峰があらわになっているのが見える。山脈の東側の農耕地域にある菜の花畑と、西側の牧畜業地域の草原でゆったり過ごすヤク。それらはまるで人々に、ここを越えたら青海チベット高原に入ると教えているようだ。 西寧を出発してからずっと、河湟谷地(黄河と湟水の流域の肥沃なデルタ地帯)の農耕文化特有の景観が続いていたが、倒淌河鎮まで来ると、異なる景色が見られるようになった。農耕文化と遊牧文化がここで一つに溶け合って、協調・共存している。この全く異なる特徴を持つ風俗習慣がここを訪れる全ての人に深い印象を与えている。
文成公主の彫像