東関清真大寺は西寧市城東区の東関大街にある。ここは古来、回族の居住区だ。宋や元の時代以来、イスラム教を信仰する商人、職人、使節、学者などが続々と西アジアや中央アジアから中国へやって来た。「彼らは西寧に定住し、シルクや磁器、茶葉、香料の貿易に従事し、モスクを建てて信仰を託しました。このモスクの誕生と変遷が、古いシルクロードの盛衰を見届けてきたといえるでしょう」。東関清真大寺の僧侶はこのように語った。
このモスクが創建された年代について、歴史上に明確な記載はない。一説には、北宋の景佑元(1034)年といわれ、明朝の洪武年間(1368~98年)という説もある。清の同治年間(1862~74年)、左宗棠(1812~85年、清代末期の政治家、軍人)が清に反抗した西北の回族を鎮圧した際、東関清真大寺は戦争で破壊されたが、1913年、元の場所に6年かけて再建された。その後の数十年間、東関清真大寺はさらに何度かの拡張や改修を経て、規模がどんどん大きくなり、徐々に中国西北地域最大のモスクの一つになった。
モスクに近づいて、まず視界に入ったのは通路が連なる6階建ての建物だ。16段の花崗岩の石段で支えられ、五つのアーチ型の門が礼拝大殿に向かっている。両側には高さ数十㍍の丸屋根のミナレットが二つあり、青い空と白い雲に映えて、神聖かつ荘厳だ。3万平方㍍近くある広場にはつるつるして平らな灰色の石板が敷き詰められており、民族衣装を身にまとい、白い帽子をかぶった大勢のムスリムが広場で礼拝していた。
広場の西側にある反り返った軒と斗栱のある建築はモスクの中心的建物、礼拝大殿だ。大殿は9段の石段に高々と支えられ、遠くから見ると鳳凰が羽を広げているようである。大殿のトップには金めっきの宝瓶があり、これは有名なチベット仏教寺院である甘粛省のラプラン寺から贈られたものだ。100年近い風雨を受けてきたものの、宝瓶はいまだに全体が金色に輝いており、大殿と素晴らしい組み合わせになっている。これにより、東関清真大寺は中国唯一のチベット風モスクになり、青海の民族と宗教の交流の証しともなっている。