天津の古長城が修復、黄崖関古長城のかつての姿を蘇らせる

2018-04-08 10:15:56

 

天津古長城(黄崖関長城)は薊州区内にあり、全長40.28キロで、「万里の長城の縮影」と褒め称えられ、天津の古い文化を示す一つの重要な窓口となっている。1984年、天津市はこの長城の修復プロジェクトをスタートさせ、1985年に第一期修復工事が始まり、1986年に一般に開放された。現在、関係部門は黄崖関長城風景区計画を制定し、まだ修復されていない古長城の修復を行おうとしている。

 

 

 

国家5A級景観区への登録を申請

黄崖関長城風景名勝区管理局の張学文局長によると、天津の古長城の中で唯一修復・開放されている黄崖関長城風景区は、開放が始まってから30年余りがたち、世界文化遺産、国家4A景観区、「津門十景」の第一など多くの称号を得ている。2017年、景観区は累計431600人の国内外の観光客を迎え入れ、前年同期比8.5%増となり、総収入は24237800元で、前年同期比11.48%増を実現した。

現在、薊州区黄崖関長城風景区ではすでに国家5A級景観区の登録申請の動きがスタートし、「黄崖関長城風景区の国家5A級観光景観区創建のアップグレード計画案」の整備に着手しており、専門家グループを組織して検討を行っている。これと同時に景観区は黄崖関長城の付属施設の保護・修繕工事を続け、国家5A級景観区の基準を全面的に満たす努力をしている。

 

「寡婦楼」「前干潤1譙楼」の修復が完了

黄崖関長城風景区は20171月から天津大学建築設計研究院にこの建造物の修復工事の調査・設計を依頼していた。

201710月、天津古長城太平寨部分の長城の最西端にある6号譙楼(通称は寡婦楼、譙楼は門の上に建てられた櫓のこと)の修復工事が終わり、検査・引き渡しを終え、天津の古長城にさらに完全で貴重な遺跡を添えた。黄崖関長城風景区文化保護科の邢亜萍科長の紹介によると、6譙楼は明の隆慶年間に建造され、レンガ・石造構造で、現在天津の古長城の敵楼(物見櫓)の中でも最も完全に保存されている明代の譙楼であるという。

201712月末、前干潤1号譙楼の修復が完了した。前干潤1号譙楼は黄崖関長城風景区西部の最高峰である王帽頂にあるレンガ・石造構造の建造物で、明代の建造以降に修復されたという記録はなく、比較的高い文化・歴史・観賞的価値をもつ。

 

 

どうして天津の古長城を修復するか

薊州区文物保護所の劉福寧副所長は、「天津の古長城は歴史的にとても高い軍事的価値をもっており、これは天津地区のかつての比較的高い軍事防御・構築物の建造技術レベルを示すものであり、軍事防御の空間配置の特長を示し、天津の多くの非物質文化遺産の主要なキャリアーでもあり、修復の価値はとても大きい」と語る。

天津の古長城の石積みは崩れているものの、依然としてとても雄大で、美しく、1頭の巨大な竜が大空に向かって飛び立とうとしているようである。黄崖天梯古哨楼から前干潤村の三界碑(天津・北京・河北の三つの省・市の境界)までの間には、北斉時代そのままの長城の壁や、明代の険しい山に建造された長城が6キロ続き、十数ある高楼や哨楼(見張り台)、狼煙台、城壁上部の凹凸がほぼ完全に残っている。北斉と明代の長城が交錯し、組み合わさったこの変わった長城は、典型的な石積みの城壁で、歴史的価値がとても高く、長い歳月を経た今でもいまだ毅然と建ち続け、最大限に歴史的情報を残しているが、現在破損がひどく、修復が待たれている。

 

修復しても「廃墟の美」を保持

薊州区文化広播局の蔡習軍副局長は、古長城の廃墟は実は一種の美であり、その廃墟があることで人々はその完全な姿に想い馳せることができる。廃墟のみが、それが建設された時代の遠さや、経て来た歳月を連想させることができる。古長城の廃墟の美を守ることは、それが持つ貴重な歴史情報を守ることであり、廃墟となった古長城は歴史の真実感や時代感を人々に与えるものだと考えている。

蔡習軍副局長は、近年、国内の多くの場所で古長城の修復にさまざまな方法がとられており、安定性を強化するために一部の地域ではセメントや石灰で固める方法をとっているが、それでは古長城が頑丈になっても昔の姿を失ってしまい、こうした修復方法は国の主管部門の批判を受け、禁止されており、観光客の反対も受けている。このため、天津の古長城の修復には「今まであった姿に修復する」方式がとられ、外部を補強材料で固めたりせず、現地の石材を用いて修復をし、散らばった石材を新たに長城の上に積み上げて、天津古長城の「廃墟の美」を損なうことなく、最大限歴史情報を保存する方法を採ると語っている。

 

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