現在位置: 文化
北京の博物館探訪①

 はじめに

一つの博物館は、“もの”に表れた歴史の集積である。

北京には大小、新旧さまざまの博物館があり、形式的な違いはあるとはいえ、一つ一つの博物館は異なる歴史の記録者ともいえ、それぞれの意義がある。

本連載では、大通りから横丁まで博物館を訪ね、その物語を探していく。

 

水道の物語 ――「北京自来水博物館」

文・写真=王浩

博物館スタッフのコメント

劉建軍さん(47歳):この博物館は北京で唯一の近代工業建築群といえる

【博物館の宝】 

蒸気機関の作業場 1908年建設、ヨーロッパ建築の風格をもつ 

北京東直門の立体交差橋の東北角に、「清水苑社区」(社区は中国独特の地域コミュニティ)がある。名前を聞いて、この場所と水との関係を思い浮かべる人もいるかもしれない。実は、この場所こそ、北京第一号の浄水場の所在地であり、社区の一角には「北京自来水博物館」(「自来水」は水道のこと)が設けられ、北京の水道の起こりと発展を記録している。

北京の水道の物語

3000年以上の都市の歴史を持つ北京でも、水道の出現は、わずか100年のことである。長い間、北京の住民は、自ら井戸を掘り浅層の地下水を利用してきた。清朝の光緒年間には、北京には、1200カ所以上の井戸があったが、その多くが苦水であったといわれる。20世紀に入ると、清朝の多くの洋務運動の志士、それに商人たちが清政府に対し、浄水場の建設を提案した。けれど、最終的に浄水場が建設されたのは、防火が背景だった。当時の北京城内では、頻繁に火災が発生しており、水がないために火災がきたす損害は膨大なものだった。

北京東直門浄水場のかつての正門の写真 東直門浄水場のかつての調整塔の写真

光緒33年(1907年)8月、西太后は当時の軍機大臣、袁世凱にむかい「防火の良策は?」と尋ね、袁世凱は、「水道水でございます」と答えた。一年後、農工商部大臣が浄水場の建設を上奏すると、10日もたたないうちに許可された。

1908年、「京師自来水有限公司」が北京において成立し、これは北京の水道会社の第一号となり、当時の浄水場は東直門に設けられた。現在、博物館のメインホールは、当時の蒸気機関がおかれた作業場であり、その脇の煙突、配水ポンプ室、時を告げたやぐらなども当時の施設のままである。すでに1世紀が過ぎているとはいえ、建物は依然として良好な状態で保存されている。

北京自来水股份有限公司が発行した株券 20世紀70年代、市民が水を汲む風景

東直門の浄水場の設備はドイツから輸入されたものであり、工期が長かったため、水道水は1910年になってようやく市民に供給された。当時の水道水は、北京周辺の孫河を水源にしており、その水は、パイプを通って東直門浄水場の濾過設備に入り、処理ののち、配水場から北京に供給された。

配水ポンプ室 1938年~1939年の間に建設された集水池跡

水道水の使用は社会文明の一大進歩である。けれど、水道水に慣れない市民の多くにとっては、当初は、なかなか受け入れがたいものだった。水道会社は様々な方法を用いて普及させようとしたが、水道の建設は非常に時間がかかった。けれど、水道水の発展につれて、北京には、メーターの検査を行う「査水先生」「水票」といった特殊な職業グループと事物が出現した。新中国の時代に入るまで、東直門浄水場は、北京市民の唯一の水道水供給地だった。

 

1   2   >>  

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850