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中国の文学を世界に紹介した 楊憲益、グラディス・ヤン夫妻

構成・丘桓興 (文中敬称略)

楊憲益とグラディス・ヤンが共同で英訳・出版した中国古典の名著『紅楼夢』

中国古典の名著『紅楼夢』は、美しく、生き生きとした文章で、賈宝玉と林黛玉の悲恋の物語を通じて、封建社会や古い婚姻の罪悪を告発し、当時の社会や生活や伝統文化を壮大なスケールで描いている。『紅楼夢』が世に出てまもなく、まず日本に伝わったが、英語に翻訳されたのは200年以上経った1978~80年になってからである。これを翻訳したのは、有名な楊憲益とグラディス・ヤン(中国名・戴乃迭)のオシドリ翻訳家であり、外文出版社から出版されると、直ちに世界の出版界の大きな反響を呼んだ。

楊憲益の原籍は安徽省で、1915年、天津市で生まれた。後に英国のオックスフォード大学に留学し、古代ギリシャ・ローマの文学や中世の英仏文学を研究し、学士と修士の学位を取得した。 1940年、彼は未婚の妻である英国女性、グラディス・テイラーを連れて帰国し、後に結婚し、グラディス・テイラーはグラディス・ヤンと改名した。

1952年、二人は外文出版社の中国文学雑誌社に入った。そこで50余年、二人は、中国と西洋の長所を生かし、正確で優美な英文で『詩経』『楚辞』『史記』や唐宋の詩文、伝奇、元曲、明清の講談、『聊斎志異』『儒林外史』などの古典文学名著や魯迅、沈従文、丁玲ら有名作家の作品、さらに『芙蓉鎮』『沈重的翅膀』など多くの現代の作家の作品を翻訳した。彼らの訳書は200を超えるとも言われる。

1980年、楊憲益は英文版の『中国文学』の編集長となった。ちょうどそのころ「改革・開放」の風が吹いて、中国文壇に繁栄をもたらしていた。老作家たちは再び筆をとって作品を書き、多くの若い作家たちは頭角を現し始めていた。楊憲益は、文芸界との幅広い付き合いがあり、欧米の読者についてもよく理解していたので、『中国文学』に読者から喜ばれる多くの作品を掲載することができた。グラディス・ヤンが翻訳した『愛是不能忘記的』や『緑化樹』などは欧米の読者の大きな反響を引き起こした。

1980年代、かわいい孫といっしょに写真を撮った楊憲益(右)とグラディス・ヤン(写真・厳欣強)

中国の文学を系統的に紹介するため、楊憲益は『熊猫』叢書の編集・出版を提案した。その第一冊『七个女作家作品選』が出版されると、多くの読者から歓迎され、八刷りの重版となった。

グラディス・ヤンは中国で生まれ、4歳のころ、父母とともに英国に帰国した。家は豊かで、楊憲益とはオックスフォード大学の同級生だった。二人は終生の伴侶となったが、この半世紀の間、中国文学の翻訳で二人は一心同体で協力しあってきた。

グラディス・ヤンは中国籍には入らなかったが、1940年に中国に来て以来、中国を故郷と思ってきた。彼女は北京郊外に行って労働に参加し、現地の農民たちと友情を結んだ。その後、週末になると自転車に乗って、農民たちに会いに行っていた。

 

人民中国インターネット版 2009年8月31日

 

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