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六小齢童の『西遊記』人生

 

「美猴王」を目指す

「美猴王」を うまく演じるため、 サルの動作を真似る六小齢童

1982年、大型テレビドラマ『西遊記』の撮影が正式にスタートした。孫悟空という人々によく知られ慕われているこの神話の人物をうまく演じるため、六小齢童は、普通では想像できない並々ならぬ辛苦と努力を払うことになった。

『西遊記』の孫悟空は、妖怪や悪魔を見抜く「火眼金睛」を持っている。父も六小齢童に「演技で肝心なのは顔、顔の要は目にある」と言い含めてきた。だから、まなざしの訓練が、孫悟空を演じる大切なポイントとなった。明け方、六小齢童は屋上で日の出をじっと見つめる。たとえ太陽の光がまぶしくて涙が出ても、目をそらさずに見つめた。昼は、人が卓球をするのを見に行き、夜はまた線香を点す。つまり速く動く小さな球と線香の光を目で追わせ、速く移動させる練習のためである。次第に、六小齢童の目に力がこもってくる。彼はさらに化粧師に、自分のまぶたに細い一本の金箔で縁取りをしてもらった。そうすると、「火眼金睛」となり、力がこもってきた。彼のまなざしは、ストーリーの変化につれ、悲痛に暮れたり、舞い上がったり、情を込めたり、怒ってにらみつけたりと、孫悟空を生き生きと真に迫って演じた。とりわけ「齊天大聖五行山に封印される」の一段の中で、六小齢童は完全に生き生きとした目の表情によって、封じ込められた「美猴王」の後悔、失意、悩み、やるせなさ、心から自由を望む複雑な内面の世界を表現し、好評を博した。

孫悟空は、最初は道教を学び、最後は仏となり、体はサルで人と神の性格を兼ね備える。こういった特徴を正確に表現するために、六小齢童は北京の法源寺と白雲観を訪ね和尚と道士の生活を体験し、仏教と道教の文化を学んだ。平日、彼は繰り返し小説『西遊記』を読み、八方に手をつくし『西遊記』にかかわる正史や稗史、研究論文と民間伝説を集め、孫悟空の性格と心理に対する理解を深めた。

面白いのは、六小齢童はサルを師として、その習性を研究したことである。暇さえあれば、動物園に行きサルを見て、行けば半日以上をかけて、サルの動作と表情を撮り、戻って仔細に観察する。後に、撮影チームが彼にサルを一匹買ってくれた。六小齢童はこのサルと毎日いっしょに暮らし、いかにかゆいところを掻くか、飛び跳ねるか、食事や遊びまでを学んだ。これは、彼が孫悟空のサルの習性を表現するのに、重要な役割を果たした。孫悟空が蟠桃(不老長寿の桃)や仙丹を盗むシーンで、六小齢童は日ごろの観察でサルが蝶々を捕る動作を加えて、神通力を持ち何もはばからない「齊天大聖」が、時々見せるサルの好奇心や、疑い深さ、すばしこさ、いたずら好きという特徴を加えることによって、観客により親しみと面白みを感じさせた。

撮影中の六小齢童の忘我の境地も、孫悟空像のイメージをうまく作り上げる上で大事なポイントである。「紅孩児との戦い」というシーンで、孫悟空は紅孩児に焼かれて「火猴」に化す。その迫真の場面を作るため、六小齢童はまずアスベストの服を着、上に水に浸した服を着て、その後体に固体ガソリンを厚く塗った。係員が、さらに彼の周りに二層の火の壁を作った。監督の「スタート」の掛け声で、孫悟空はたちまち燃え上がる火の海に飛び込み、全身も炎まみれになった。「あの時、火に囲まれ、非常に窮屈で息苦しく感じただけでなく、服も厚くて重かった。しばらくして、眩暈がして、息が詰まったようでした。でも、監督が『やめ』とも言わなかったので、一所懸命転げまわるしかありませんでした」と六小齢童は思い出を語った。当時、スタッフは六小齢童の即興の演技だと思っていたが、やがて動作の不自然さに気づき、「しまった」と感じてすぐにみんなで火の中から彼を救い出した。このときの「孫悟空」は、ゴムの仮面はすでに変形し、まつげも焼けてなくなっていた。

撮影中、六小齢童は、火傷し、転び、打たれて生傷が絶えなかった。しかし、投げ出さず、天に昇り地をくぐり、水火も辞せず、妖怪悪魔を降服させる孫悟空を生き生きと演じた。ドラマ『西遊記』が公開された後、彼は観衆からもっとも満足できる「美猴王」と認められた。

 

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