「私は南開を愛している」
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湖心島にある周恩来の記念碑
周恩来総理自筆の「私は南開を愛してる」の文字が刻まれている |
南開大学の本館の前の広場に、新中国の建設に身を投じた周恩来総理の漢白玉の彫像がそびえ立っている。キャンパス内にある馬蹄湖の中央には記念碑があり、「我是爱南开的(私は南開大学を愛している)」の6文字が刻みこまれている。これは周総理の母校に対する深い真心を表したものであろう。
1913年、周総理は南開中学校に入学した。東西文化が融合する教育環境のもとで育った周総理はたちまち頭角を現し、特に厳修に高く評価され、「宰相の才あり」と賞賛された。4年後、優れた成績で卒業し、日本に留学した。1919年に南開大学は文科系を設置、周総理はその第1期生である。大学に在籍中、天津青年愛国運動と新文化運動の指導者となった周総理は、『天津学生聯合会報』を編集し、「覚悟社」を組織した。1920年、周総理が反動政府に逮捕されると、厳修は張学長と相談し、「厳範孫奨学金」で周総理を援助し、ヨーロッパに留学させた。後日、周総理は「先生は極上のスープのように透き通っていながら味のある方であり、封建社会における善人である」と思いをこめて厳修を評価した。
新中国成立後、周恩来総理は1951年、1957年及び1959年の3回、母校を訪問した。1959年は中国が経済的にもっとも厳しい時期であった。周総理は教職員の食堂で、教職員たちとともに窝窝頭(トウモロコシやコーリャンなどの粉を水でこね、円すい形にして蒸したもの)と漬物を食べた。そんな風景を捉えた写真が、現在でも食堂を入ってすぐ目の前の壁に飾られている。
同じく人々から深く敬愛されている温家宝総理も、南開中学校を卒業した南開の同窓生である。2005年6月と2009年2月の2度、温総理は南開大学を視察。教室で授業を受け、学生たちと一緒に食事をした。南開大学の第3食堂で、温総理は学生たちとまったく同じ食事をし、即興でスピーチをした。総理はそのスピーチの枕にこう語った。
「周総理が、『私は南開を愛している』とおっしゃったことを覚えています。実は、私も南開を愛しています」
合唱の魅力は音楽のみならず
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先生の指導のもと練習に励む南開合唱団の学生たち |
構内のコンサートホールの舞台では、南開合唱団の学生たちが稽古の最中であった。世界の名曲の、思わず聞きほれてしまう優美な合唱である。合唱団は全員、大学に在籍している学部生と院生で組織されているが、韓国人の男子留学生も1人含まれている。現在のメンバーは80名。1995年の結成以来、この合唱団に参加した延べ人数は数百名に及ぶ。
結成から十数年、合唱団は南開及び中国を代表して世界の大きな数々の合唱コンクールに参加し、毎回必ず賞を携えて凱旋している。毎年の卒業式には、必ず『美しい南開-我が家』という歌を歌う。心を揺さぶるその歌声に、その場にいた誰もが思わず涙を流した。2005年、合唱団が成立10周年の記念コンサートを主催した際、卒業したかつてのメンバーたちが自費で世界各地から南開に帰ってきて参加した。彼らにとって、合唱の魅力は音楽だけではない。合唱団の初代団長である斉航さんは、卒業後米国のデューク大学に留学し博士課程で学んでいるが、今回、わざわざ米国から帰国した。斉航さんは語った。
「これが合唱の魅力です。合唱に参加することで、一人一人の声が海に融合する滴のごとく一つになるのです。滴はこれといって何の役目も果たしていないかに見えますが、実は海の波も一滴一滴の水でできています。長い時間を経て、皆家族のような関係になりつつあり、互いに協力し、支えあっています。この協力精神こそ、われわれが合唱団で学んだ何よりも大切なものです」(魯忠民=文・写真)
人民中国インターネット版 2009年11月
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