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黄河流域の麺食文化

 

「肉挟」と鴨肉スープ

「白吉」をこねて焼く女主人
潼関は陝西、山西、河南の三省が交わるところにあり、ここから西へは西安を経て宝鶏まで全部「八百里秦川」(秦嶺の北側にある渭河の沖積した谷や平原)に属する。陝西省の豊饒な農業地区であり文化の中心でもある。

黄河の河辺に残る潼関古城跡の城垣がなんとも物寂しい。後漢(25~220年)末に曹操が潼関を築いて以来ここはずっと軍事的要衝として歴代の兵家の争奪の場となった。20世紀前半の戦火とその後のダム建設で、潼関古城ももはやいにしえの面影はなく、街の通りもひっそりとしてしまった。

ある小さな料理店に入り、「肉挟」と鴨肉スープを注文した。女主人が料理を作っている間に、主人とそのお父さんとしゃべり始めた。主人のお父さんが言うには昔、潼関は商業が盛んで、三つの省が接し、水路も陸路もここで交わり、舟や馬、南北から往来する貨物で、旅館や料理店は大繁盛だった。

潼関料理の特色は陝西の人にはよく知られている。潼関の「肉挟」のは「白吉」と呼ばれ、サクサクして、もろく、香りもよい。その肉は「腊汁肉」で、脂身なのに脂っこくなく、赤身なのに口中に油が広がる。噛まなくても口の中で自然に溶け、食べた後も香りが消えない。鉄板で焼いた後、さらにコンロで焼く。こうすればガワが薄く食感がさくさくで、中が柔らかくなる。肉へのこだわりはもっとすごい。まず脂身と赤身が適度な豚肉を念入りに選び、冷たい水で洗う。長方形に肉塊を切り分け、その肉をだし汁の入った鍋に入れ、水を加えて食塩、料理酒、糖色、さらに八角、桂皮、花椒、丁子など十数種類の調味料を詰めた袋を入れて、まず強火で沸騰させ、それから弱火で煮る。二時間後、とろ火にして蓋を閉めて三時間ないし四時間煮る。肉が完全に柔らかになれば取り出す。さらに小さな肉塊に切り分け、特製の汁をかけ、出来上がったばかりのに挟む。これで出来上がりだ。

伝説によれば唐の太宗李世民は初めて潼関の「肉挟」を食べて、「素晴らしい! 素晴らしい! 素晴らしい! 天下にこんなうまいものがあったのに、知らなかったとは!」と激賞したそうだ。  「肉挟」と一緒に味わう「鴨肉スープ」が、実は鴨肉で作ったものではない。豚のヒレ肉を薄切りにして卵白を加え、鍋で炒めて白くし、キクラゲや青ねぎなどの食材や薬味を入れ、スープと水と香油を加えたものだ。言い伝えによると八カ国連合軍を避けて西太后が北京を離れ、その戻り道潼関にさしかかった折、当地の役人が宴を設けて接待した。このスープを飲んだ西太后は宮廷の料理人が作った鴨肉のスープとよく似ていると言ったので名付けたという。「鴨肉スープ」はこうして一躍名を挙げた。

「肉挟」と鴨肉スープ
何とまあ、こんな簡単な軽食が二人もの歴史上の大人物と関わりがあるとは思いもよらなかった。おなかいっぱい食べて、気分も上々。さてお勘定をしてみると、鴨肉スープが8元、肉挟一つ1.5元が二つで三元、合わせて計11元と聞いて二度びっくり。

陝西省の人の一番好きな食べ物は何かと主人に聞くと、「そりゃもちろん麺だよ」という答えが返ってきた。潼関から宝鶏へ、陝北から陝南に至るまで、麺館がレストランよりも多い。西安だけでさえ、数千軒もの麺館がある。にぎやかな都市部はもちろん小さな村にも、金持ちも百姓も、お祝いも悲しみにも、麺は欠かせない。

専門家の考証によれば、5000年前の西安半坡仰韶文化遺跡の中からすでに小麦が出土し、麺の起源は陝西という。現在陝西の麺の中で、名前があげられるものだけでも数百種類ある。渭南地区だけでも「華県ジャガイモ麺」「猿頭麺」「渭南衡香麺」「韓城扇麺」などがあり、もっとも細いのは髪の毛ぐらい、一番幅広の麺は六センチもある。

陝西人が麺を食べるときの調味料はいたって簡単で、主に唐辛子、ねぎ、油と酢である。陝西人は唐辛子のことを「辣子」という。俗に「陝西人は変だ、おかずは辣子だけ」という。陝西の唐辛子は赤くて味わい豊かである。食べる時に熱した油をかけて、それから食べるので、「油かけ辣子」とも呼ばれている。現地の人は「油かけ辣子は食べれば食べるほどおいしい」という。

 

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