農民たちの橋杭宜黄劇団
宜黄県は撫州市の南にあり、中国の古い演劇である「宜黄戯」の発祥地である。湯顕祖の『臨川四夢』を最初に演じたのは宜黄劇団である。「宜黄戯」の節回しの「二黄腔」は、京劇に直接的な影響を与えた。
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演者たちの「露天化粧場」 |
子どもたちは大人の真似をし、舞台の中で成長する |
しかし宜黄県の県城では「もう何年も前から『宜黄戯』は上演されていない」と、劇団のベテラン演者たちは溜息をつきながら言った。だが、宜黄県の農民たちは「宜黄戯」が大好きで、驚くことにいま、12もの農民劇団が一年中、農村で活動しているという。その中で、1970年代に最初に農民のアマチュア劇団を旗揚げしたのは、新豊郷橋坑村の農民、林愛雲さんである。
芝居の神様 清源祖師
橋坑村は県城から70キロ以上も離れた辺鄙なところにある静かな山村である。昔ながらのスタイルでつくられた木製の大きな小屋の前には、臨時に天幕と衣装が掛けられ、小道具箱と机の上にさまざまな道具や飾り物が並べられている。数人の農民の演者が化粧している。道具がいっぱい並べられている机の上に、小さな人形が置かれていた。これは芝居の神様、清源祖師である。
湯顕祖は『宜黄県の戯神、清源師廟記』の序文の中で、清源祖師の由来について、「西川の灌口神」つまり「灌口二郎神」であるとした。二郎神の正体についてさまざまな意見がある。成都郊外の都江堰を建てた李氷親子であるという説もあるし、川に住む怪獣を切り殺した嘉州太守の趙煜であるという説もある。
60平米の小劇場
化粧場のそばに、望楼のような土レンガで造った高い建物がある。60平米ほどしかない小さな劇場だが、正確に言えば、小さな稽古場と言うべきものだ。部屋の半分は舞台と天幕、照明設備がすべてそろっており、コンピューター制御の字幕機器さえある。衣装に着替えた演者たちは次々と舞台に上がり、練習を始める。座頭兼演出の林愛雲さんは傍らで絶えず教えながら何か言っている。休憩時間になると、子どもたちは恐れ気もなく舞台に上がり、道具の赤い房の付いた槍を手にして大人たちの真似をする。
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橋坑劇団の演じる『二進宮』の一幕 |
小劇場の観客は、外から来た人と橋坑村の子どもたちだけだ |
観客は2、30人でもう満員になる。銅鑼や太鼓の音の中、演者たちはメイクをしては次々に舞台に登場する。その日の芝居は、明代の宮廷で起きた権力闘争を描いた宜黄戯『二進宮』の一幕だった。舞台は小さいが、演者たちの台詞やしぐさは非常に真剣で、歌の節回しや所作もプロ並みである。「宜黄戯」の表現方法は荒々しく、素朴で、節回しも所作も型は厳格で、いささかもおろそかにするところがない。 「この小劇場を建てるのに、たいしたお金はかからなかった。資材を買うのには5、6000元かかったが、村人全員が働いて建てた。村でなにかする時には節約を重んじ、自分で手を動かす。心と力を合わせてやれば、なんでもできる」と座頭の林さんは言った。
彼は今年62歳、子どものころから文芸が好きで、どんな楽器も歌も好きだった。もともと村に「三脚班」という芝居の劇団があった。「三脚班」という芝居は「採茶戯」とも呼ばれ、「生」「旦」「丑」の三つの役しかなく、「宜黄戯」と比べれば通俗的だが、彼はこれが上演される度に必ず見に行った。
1978年、林さんは郷の劇団から戻り、ほかの五人と相談し、共同出資して村の劇団を創設した。彼は座頭に推された。当時、林さんの出資は200元で、一番多かった。その当時の貧しさが窺える。
劇団の演者は28人、すべて村の農民である。しかし、「生」「旦」「浄」「末」「丑」を演じる演者はそろっており、さまざまな楽器の演奏者、衣装係や小道具係、コンピューターの字幕係もいて、暇な人はいない。一人で何役もこなす人もいる。驚いたことに、橋坑村は全村で18戸しかなく、人口は110人しかいないので、夫妻や兄弟、姉妹、親子が同じ舞台に立つことがしばしばである。こうして互いに芸を磨きあい、芸を伝承してゆく。
一番の年かさは70歳、一番若いのは二十数歳。普段は農事で忙しいが、農閑期になると芝居をし、招かれればどこにでも出かけて行く。演目は、さまざまな要求に応えてますます増え、演技のレベルもますます高まっている。出稼ぎに出ている演者も多いが、芝居が好きなので、頻繁に上演される旧正月には、出稼ぎ先から急いで帰ってきて、公演に参加している。
林愛民さんは今年46歳。劇団では「須生」(中年以上の役)を担当している。彼は17歳のとき、県の「採茶戯」の劇団に入り、「小花臉」(道化)を習った。この劇団が解散した後は、一年間、出稼ぎに行ったが、その後、村に戻り、農業を始めた。いま水稲12ムー(1ムーは6.667アール)を有している。
彼は七人家族で、息子が二人、娘が一人いる。長男は結婚し、孫が一人いる。彼と妻、二人の兄弟、兄弟の妻の一人は演者だ。2008年の一年間で、彼らは村のメンバーとともに120回以上公演した。
農民のアマチュア劇団である橋坑宜黄劇団は、収入が増えたので、村に恩返しをしている。まず十万元を出して村の外に通じる石橋を架けた。また村の長さ180メートルの道をコンクリートで舗装したのだった。
人民中国インターネット版 2010年6月29日
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