文=葉 紅
3月11日は忘れられない日としてこれから日本、いや世界中の人々の記憶に刻まれることであろう。巨大地震、想像を絶するような大津波、そして福島原発事故、次々に襲ってくる大災害を前に人間の無力さを改めて思い知らされる形となった。
未曾有の大惨事を目の当たりにし、その直後の心境を「がれきに詩の言葉が埋もれてしまった」と表現した詩人がいた。瞬時にして町を、村を、漁港を何もかも呑みこんでしまった大津波によって、子を失い、親を失った被災者たちはかつて経験したことのない心の痛みに耐え、悪夢であって欲しい現実を受け入れるには、自らを奮い立たせねばならない。しかし、人智を超えた天変地異だからと片付けてしまうには、被害はあまりに酷すぎた。連日の報道を耳にし、被災地を映した映像に目にするたび、込み上げてくるこれからも癒えることのない悔しさや悲しみを胸に、今日も日本、いや世界中の人々が被災地に祈りを捧げていよう。
そんな中、中国現代文学翻訳会は4月2日に例会を開いた。筆者もかかわっているこの翻訳会は2008年の春に第1号の翻訳誌『中国現代文学』(ひつじ書房http://www.hituzi.co.jp/)を世に送り出して以来、年間2冊のペースで刊行を続けてきた。被災地から200キロも離れた東京での活動ではあるが、震災が起きてから実施されてきた計画停電、それによって調整される電車の運行など、不安定な要素を多く抱えている中での開催となった。多くの不要不急の行事が取りやめられたが、直接の被災者ではない私たちは各自の持ち場を守って、粛々といつもと変わらずに仕事をこなし、普通に暮らすことがいずれは震災からの復興に大きな力になろう、と考えたのだ。
当日は、中国の女性作家遅子建のわりあいに早い時期の作品で、「北極村の童話」の翻訳検討が行われた。遅子建の作品は早くから注目され、『中国現代文学』5号に「世界中の全ての夜」が訳出され、今回翻訳会で取り上げるのはそれに続いての2作品目になる。中国の最北の地を髣髴させる自然の中で繰り広げられる子どもを取りまく世界、その世界を豊かに描いた「北極村の童話」は読者を強く引きつけ、われわれ翻訳会のメンバーもすっかり虜になった。長めの短編ではあるが、2時間以上とたっぷり時間をかけて検討された。遅子建は黒龍江省の出身ということもあって、作品の中には東北方言も多く見られ、それが翻訳を難しくしてしまうことは否めないが、一方では、豊かな言語によって表現された世界は遅子建の作品をより味わい深いものにしていると感じられた。
中国現代文学翻訳会(lishan@tamacc.chuo-u.ac.jp) は日本在住の中国文学の研究者、翻訳者の同人によって発足した会である。会員の多くは大学などに勤める傍ら、中国の現代小説を翻訳し、雑誌の形で日本の読者に紹介している。中国の作家たちの同意を得て、翻訳作業に入っていく形を取っている。作品の選定は翻訳者のおのおのの好みに任されるが、なぜその作品にこだわるかはメンバーたちに伝えるべく、必ず作品紹介のステップを踏まなければならない。今回の遅子建の作品紹介についても、実は以前から強い思い入れがあって、ぜひやらせて欲しいと語った担当者の弁が印象的だった。そして、翻訳検討を経て読者に届けるという流れである。今年の5月の末頃には通常の翻訳以外に、昨年末に急死された作家史鉄生の特集を組んだ第7号が刊行される予定である。
このような地道な作業は営々と続けられ、今後も可能な限り続けられよう。しかし、一方で現代の読者の興味対象は実に多種多様で、その中で中国文学はメジャーなジャンルでないことは認めないわけにはいかない。会員たちの熱意およびそれぞれのポケットマネーによる出資で成り立っているこの会もよりよい翻訳をし、より多くの読者を獲得しなければならない。幸い文学はマイナーかどうかよりも、人間の日々の営みに根ざしたものである限り、そこに価値を見出してくれる読者は必ずいる。それを信じて、今日も作品を前に格闘中である。
人民中国インターネット版 2011年4月14日
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