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若者の心とらえた「新しい昆劇」

 

莫文娜=文

若者向けに改編された「青春版」昆劇(昆曲)『牡丹亭』がこのほど、北京大学の百年講堂で上演された。2100以上の客席に空席はなかった。

時に高くなり、時に低くなる管弦の音につれて、主人公の杜麗娘が垢抜けした卵色の、裾の長い中国服を着てしなやかに歩みながらゆっくりと舞台に現れると、客席を埋め尽くした学生たちは熱狂した。公演が終わり、幕が下りても、学生たちの拍手は鳴りやまず、役者たちは繰り返しカーテンコールに応えざるを得なかった。

白先勇改編の、蘇州昆劇院による「青春版」の昆劇『牡丹亭』が西安交通大学の憲梓堂で上演された。大学生たちはネットでチケットを予約し、無料で鑑賞した(新華社)

『牡丹亭』は『還魂記』とも言い、中国の明代の著名な劇作家、湯顕祖の代表作である。そのストーリーは――。

少女だった杜麗娘が庭園で遊びつかれて休んでいると、夢の中で書生(読書人)の柳夢梅と出会う。二人は夢の中で互いに好きになり、結ばれる。杜麗娘はその後、恋わずらいで病気になる。彼女は自画像を描き、小間使いに命じてその絵を庭園の中にある太湖石の下に埋めさせる。そしてほどなく恋わずらいのため死ぬ。

3年が経ち、この庭園の中に宿を借りた柳夢梅は彼女の自画像を見つけ、それが夢で会った佳人であると知る。そして心を込めた呼びかけが杜麗娘を動かし、二人は冥界で密会し、結ばれる。

その後、柳夢梅は杜麗娘の言いつけ通り、女道士の助けを借りて墓を掘り、棺を開けて、彼女を復活させる。愛し合っている二人はついに結ばれ、一家を成す。

この不思議なストーリーと、生きていても死んでも互いに愛し合う柳夢梅と杜麗娘の真情は、私たちを深く魅了し、感動させる。

現代にマッチする改編

「青春版」『牡丹亭』の宣伝ポスター

昆劇は14世紀半ば、江蘇省昆山一帯で生まれた。笛や簫(縦笛)、笙(管楽器の一種)、琵琶を伴奏楽器とし、きめ細かく優雅で、南方と北方の伝統劇の優れたところを一体化した、詩と舞いと曲と劇を極めてうまく総合したものである。16世紀から18世紀末まで、昆劇は文人の間で流行し、後に興る戯曲や演劇に大きな影響を与えた。このため昆劇は「百劇の祖」と言われる。

昆劇の興隆は、当時の士大夫の生活や芸術の趣味と切り離すことができない。当時、昆劇は主に士大夫の家の庭や客間で、文人や上流社会の集まりのために演じられた。しかし昆劇は高尚過ぎ、鑑賞する人にきわめて高い文化的素養を求めるため、次第に市井の大衆から愛されなくなった。清の乾隆年間以降、昆劇は衰退し始めた。2000年になると、中国には昆劇の仕事に携わる人は約800人しかいなくなり、「800壮士」と称されるようになった。2001年には、昆劇はユネスコの世界無形文化遺産に指定された。

台湾の作家、白先勇は、大陸の昆劇の状況を見てきわめて心を痛めた。そして彼は、一回の公演で『牡丹亭』の通しを示すことができる昆劇がほしいと思った。しかし『牡丹亭』は通しで55幕もある。さらに公演のテンポはゆっくり過ぎて、演じ終わるまでに10日間か半月かかる。今日のテンポの速い生活や美的要求に合わないのだ。

そこで白先勇は、「削除はするが作り変えない」という原則に則り、もともと55幕あった『牡丹亭』を、3日間で演じ終われるように29幕に圧縮し、二人の愛情の物語を際立たせ、これとあまり関係のない枝葉末節を削除したのである。

白先勇は、昆劇の特性は、かなり高い文化的素養があってはじめて鑑賞できるものであることを知っていた。そしてまさに高等教育を受けていて思想が開放されている大学生こそが、昆劇のもっとも良い普及の対象であった。

だから若い大学生を引きつけるため、白先勇の『牡丹亭』は、若い役者を大胆に初めて起用し、簡潔であっさりした舞台衣装と趣のある書画の舞台背景を採用した。伝統の基礎に根ざしながら現代の青春生活の息吹に溢れているものとなっている。このため、大学での公演後、大学生たちの喝采を博し、「青春版」『牡丹亭』と呼ばれるようになった。

「大学での公演は非常に重要です。こうした若い観衆がいなければ、昆劇には前途はないと私は思います。昆劇は一定の文化水準に達した観客でなければ鑑賞できないので、大学生はもっとも重要なグループなのです」と白先勇は言う。2009年から白先勇は北京大学と共同で、5カ年の「昆劇推進普及計画」を始めた。彼は、大学生の10%が昆劇を好きになれば、昆劇は伝承・発展できると考えている。

「青春版」『牡丹亭』の制作者、白先勇
昆劇を保護しようとすれば、昆劇を伝承してゆく役者を養成することが非常に重要である。白先勇は全国をくまなく歩き回り、きわめて大きな潜在的素質を持つ若い役者の沈豊英と兪玖林をついに発見した。また、有名な昆劇芸術家である汪世瑜と張継青を招いて、彼らに対し形や歌、演技、文学鑑賞を含む系統的な強化訓練と養成を行った。

「汪世瑜先生は舞踊の教師を招き、バレエのやり方で、肩や胸、腰を伸ばし、猫背を矯正しました。私たちは年齢がすでに発育期を過ぎていて、骨格はすでに固まっているので、訓練は大変難しく、訓練の現場は時に泣き声でいっぱいでした」と沈豊英は言う。彼にとって当時の「魔の訓練」の記憶はなお新しい。

汪世瑜は若い役者の養成に努めたばかりでなく、演出も担当した。昔の昆劇は演出家がいなかった。新しく上演される劇はみな、年配の師匠たちが「捻り出して」できたものだった。しかし、昆劇に精通した演出家ならば、全体をいっそううまく貫き、上演される昆劇をさらに表現力を備えたものにすることができる。

汪世瑜は、『牡丹亭』の一幕のみを演じる「折子戯」の良いところを吸収し、かつ大幅に改編した。例えば『驚夢』という「折子戯」は、杜麗娘と柳夢梅が夢の中で初めて知り合ったときの情景を描いているが、汪世瑜は役者に「水袖」(袖口についている長い白絹)のしぐさを十分に利用して、「翻袖」「勾袖」(袖口の白絹を翻したり、引っ張ったりするしぐさ)などのボディーランゲージを用いて二人の心が千々に乱れる情景を最大限にまで表現させ、劇全体をロマンチックで華麗なムードに改めたのである。

「いまの若い人たちは、昆劇が何たるかを知らない。だから私は一つの模範例をつくり、世の人々に昆劇が、国内と同様に世界でも、西洋の観客の心をつかむことができることを証明したいと思う」。白先勇はこの数年、「青春版」『牡丹亭』の劇団を率いて中国全土ばかりでなく、米、英、日、独などの国々で公演し、称賛を勝ち得た。

『牡丹亭』が日本で公演されたとき、日本の歌舞伎役者の坂東玉三郎はこれを観た後、その芸術的魅力に感動し、決然として中国に行くと決め、張継青を師として昆劇を学んだ。2008年には、玉三郎は、もともと「青春版」『牡丹亭』に出演していた中国の役者たちとともに共同で、「中日版」の『牡丹亭』の上演を成功させたのだった。

市場によって生き残る

「皇家糧倉」の小劇場で上演される『牡丹亭』のクライマックス・シーン(写真提供・王翔)

北京市の東四十条に、皇室の食糧倉庫だった古びた建物「皇家糧倉」を改造してつくられた小劇場がある。照明に照らし出された小さな舞台はかなり古めかしく、飾り気がない。滑らかに抑揚する竹笛の音につれて、薄い藍色の裾の長い服を着た杜麗娘が、軽快に舞いながら登場する。

「良縁吉日はいつの日か、心楽しむことは誰の家で……」。断腸の思いを込めた歌の中、斑の古木の柱、その傍らにある金魚鉢の中をゆっくりと泳ぐ小さな錦鯉、金魚鉢に降る雨粒の音、観客の懐の中にまで舞い落ちる花弁……。工夫を凝らした劇場の雰囲気が、観客の心を安定させ、芝居のストーリーに引き込み、杜麗娘と柳夢梅の、死んではまた生き返る愛情の真心に観客は感動するのだ。

「600年の歴史がある建物の中で、600年の歴史のある昆劇を鑑賞する」。これは普羅文化公司が企画した文化の逸品であり、視聴覚に訴える昆劇の盛宴である。公司のCEO、王翔は、2006年に中国で初めて行われた文化遺産の日に、『牡丹亭』の「折子戯」の一つ『驚夢』を初めて鑑賞し、その後すっかり昆劇の魅力の虜となってしまった。彼は、昆劇を「皇家糧倉」に導入することを決め、マイクや音響装置をやめて、昆劇を元の姿のまま全面的に復活し、明、清時代の士大夫の生活のように、客間の中で昆劇を演ずるようにした。毎回の公演で、受け入れる観客は60人だけ。彼が目標にした観客層は、ビジネス界のエリートと本物の中国の伝統劇の味を味わいたいという外国の人々である。

「小劇場の雰囲気は、他とはまったく違う。みなが息をひそめて舞台に集中し、ちょっとでも物音をたてれば役者を驚かせ、ムードを壊してしまうのではないかと恐れているかのようだ。時間が過ぎるのが本当に速い。ダラダラし緩慢なところが少しもなく、公演はすぐ終わってしまった」と観客の一人はつぶやいた。忙しいビジネス界のエリートに観てもらうために、王翔はビジネス界の特徴に合わせて改造を加えざるを得なかった。もとの芝居を大幅に圧縮し、55幕の『牡丹亭』を2時間半で演じ終えるように変えた。

「まるで映画『ゴースト ニューヨークの幻』を時代劇版で見ているようだった。それぞれの幕の間にほとんど関連性がなく、もとの芝居の濃厚な趣は抹殺され、軽佻なものとなった」と、一部の観客はこうした改変を認めていない。

こうした批判的な声に対し王翔は「我々は多くの改編を施したが、二つの点だけは堅持し、変えなかった」と、自分の考え方を述べている。二つの点とは、歌と音である。

「我々は西洋音楽を使わず、西洋の『和声』と『対位法』を取り入れなかった。伝統的な五音階の斉奏を堅持し、楽隊は6人だけで、竹笛、鼓、二胡、琵琶、古筝、竹笙で古典的な中国音楽のもともとの味を出した」「現在、中国では伝統的な演劇は専門の劇場で決まった公演をしていては生き残っていけないと思われてきた。しかし我々はそれを堅持し、しかも四年間で四百回も公演した。これが、伝統的な演劇が生存していけることをもっともよく証明している」

少ない観客によって、劇団がうまく発展してゆくのに十分な資金を獲得し、昆劇が北京で常打ちの劇場を持つことができた。これは昆劇劇団の生存と発展を助けたのだった。

 

 

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