王焱=文・写真
「水鼓舞」は、貴州省剣河県革東鎮大稿午村のミャオ族の伝統的な祭——「水鼓舞節」の出し物である。言い伝えによると、ずいぶん昔のある年、大干ばつに見舞われた。村のある長老が村人たちのために飲む水を得ようと、外に出て井戸を掘っていたが、不幸にも土砂が崩れ、埋まって亡くなった。長老は死後、夢に托して子どもたちに「ここは風水のよい土地なので、私をこのままここで永眠させてくれ」と言った。子どもたちはそこへ行って長老を供養した。弔いが終わると、大雨が降った。人々は川や池に入って水を踏み、感謝の気持ちを表した。これが風俗になったのである。今、「水鼓舞節」は貴州省人民政府によって省級無形文化遺産に登録された。
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水鼓舞」が始まる。真ん中で一人が太鼓をた たき、ほかの人は左に回りながら踊る |
「水鼓舞節」の開幕式、「起鼓」という儀式は毎年旧暦の6月に行う。村の人望のある老人たちがみんな集まって一緒に村人に呼びかける。アヒルを引いた男の子を先頭に、酒、肉、線香と紙銭などのお供えを持った村人たちが、村の前の池のほとりに行く。若い男女が女のスカートをはき、蓑を逆さにまとい、足には草の靴をはいたり、思い切ってはだしになったりして、隊を組んで池に入る。
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「水鼓舞」を見る長老たち。人望の厚いお年寄りだ |
池の中央に太鼓を置く。祭主は祝詞を唱え、「雷様!雨を降らして下さい」と大声で叫び、アヒルを殺して血をまき、祖先を祭る。人々は周りを囲み、ひざまずいて拝む。祭祀が終わると、人々は幾重にも囲んで太鼓の拍子に合わせて水を踏み踏み踊る。踊る姿は古風で飾り気がなく奔放で、動作は荒々しい。水辺では祭りの盛装で飾った若い女たちがめでたい歌をにぎやかに歌って興を添える。何回か回って踊った後、池の中の人々が突然散って、泥をつかむと、互いに投げ合って騒ぎたわむれる。現場はとてもにぎやかで壮観、非常に楽しい。たわむれた後、泥まみれの人々が水辺に上がり、一人の長老が中央の太鼓をたたくと、人々は、太鼓の拍子に合わせて舞ったり、酒を飲んだり、肉を食べたりして楽しむ。十分に休むと、再び池に戻り、踊りながら泥をつかんで騒ぐ。これを繰り返し、酔っ払って疲れ切り、夕日が西に沈むと、人々もやがて散っていく。
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泥まみれでも平気、太鼓の拍子に合わせてまた踊り始める |
専門家の考証によると、「水鼓舞」は少なくとも5、600年の歴史がある。昔は競馬、対歌(問答の形式で歌う)、闘牛などもあった。ミャオ族の稲作文明の歴史は古く、旧暦6月はちょうど稲が一番水を必要とする時期だ。伝説によると、降雨を司るみずちが動かないと雨が降らず、寝返りをすると大雨になる。この時期に「水鼓舞節」を行うのは、みずちを驚かして寝返りをさせ、雨を降らすためである。当地の人によると、いつも「水鼓舞節」が終わると間もなく、雷が鳴り、恵みの雨が降り、稲の生長と豊作が見込まれるという。
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