現在位置: 文化
芳醇な香りと極上の味わい 「茶海」が育む自然の恵み

丘桓興 金田直次郎 =文 馮進=写真

貴州省湄潭県は有名な茶葉の産地だ。ここには野生の大きな茶の木がある。2000年前には茶葉の栽培や貿易がすでに始まっていた。抗日戦争中、湄潭の人々は茶を代価に必要な物資と交換した。現在、茶園が随所にあって茶の海が広がり、茶葉販売による収入は県の収入全体の8割を占めている。

広々とした魅力的な「茶海」

貴州省北部にある湄潭の山道を車でゴトゴト揺られているうちに、うとうとと眠気が催してきた。すると突然、運転手が「茶海に到着しましたよ」と声を掛けてきた。車を降りてみると、驚きと喜びで胸がいっぱいになった。周囲一帯が青緑色に輝く茶園だ!辺りを見渡すと、一つひとつの畝ごとに栽培されている茶の木は丸々と育っており、紺碧の海面にわき上がる緑の波のようだ。遠くに見える、うねうねと起伏のある丘で茶摘みをしている女性たちは、波に乗るサーファーを連想させる。

気候と生態環境に恵まれた湄潭の「茶海」

案内板によると、ここの茶海は面積が4.3万ムー(28.6平方㌔)以上あり、世界最大の茶畑だという。

なぜか、この茶海へ足を踏み入れた途端に興奮を覚え、まさに狂喜するほどになった。同行してくれた湄潭県党委員会宣伝部の年維部長の紹介によれば、初めて茶海にやってきた人のほとんどが、そのような感覚に陥るという。天にまで広がっているかのような緑色をした茶海が目の保養になる上に、ここの空気は酸素をたっぷり含んでいるからだ。汚染や喧騒が甚だしい都市で暮らしている人々は、ここに来て新鮮な空気を吸い込むと、きっと肺が洗われるに違いない。まさしく濃度の高い酸素に陶酔させられることだろう。また、一部の旅行会社は「茶摘みの旅」を企画しており、腰に小さなかごをつけて、茶摘みを楽しむプランが観光客に大人気だ。

湄潭県は貴州省の北部に位置する。1935年1月、中国工農紅軍は長征の途上でこの地を通過した。その後まもなく、ここから西へ70㌔のところにある遵義で遵義会議が開かれ、秦邦憲(博古)、オットー・ブラウン(中国名は李徳)などの指導者による誤った軍事政策路線が是正された。そして毛沢東、周恩来らの指導の下、中国革命において勝利への道を歩み始め、新中国の成立を迎えた。

百万年前の茶種の化石

中国は茶の故郷と呼ばれている。湄潭県にある貴州省茶葉科学研究所の専門家、張其生氏によると、貴州は気候が穏やかで、降水量が多いため湿気も高く、また土壌が弱酸性なので、茶の木の生育に適している。ここ数十年、茶の木の研究者は湄潭、晴隆、普安など多くの山地で野生の大きな茶の木を発見した。こうして貴州は茶の木の原産地の一つであることが立証された。

芳醇な貴州湄潭緑茶

非常に興奮した面持ちで貴州湄潭の茶葉資源について語る貴州省茶葉科学研究所の専門家、張其生氏

貴州では、いつの時代から茶の生産がなされてきたのか。「茶聖」と呼ばれる唐代(618~907年)の陸羽(約733~約804年)は、中国最初の茶の専門書とされる『茶経』(760年に完成)で、「茶は思州、播州、費州、夷州に芽生え、(中略)しばしばその茶を入手し、その味わいはまさに極上」と記している。湄潭は古代夷州の管轄内にあるため、ここの茶は唐代からすでに「その味わいはまさに極上」と評価されていたことがうかがえる。

紀元前135年、前漢の唐蒙将軍は兵士を率いて巴蜀から夜郎国に向かう途中、湄潭にある多くの市場で、茶葉の商いが行われている光景を見かけた。それゆえ、2000年前には貴州で茶葉の生産がすでに盛んだったため、市場に多くの茶葉が集まり、商いが活発だったと考えられる。

最も心が躍った出来事は、1988年に、晴隆県筍家箐野生茶園で、茶種の化石が発見されたことだ。中国科学院南京地質古生物研究所の郭双興研究員や中国科学院貴陽地球化学研究所、貴州地質研究所などに所属する専門家の鑑定によって、「今から百万年前の四球茶の茶種の化石」だと判定された。この発見は、茶の木の原産地をめぐる論争に休止符を打った。

 

1   2   3   >>  

人民中国インタ-ネット版に掲載された記事・写真の無断転載を禁じます。
本社:中国北京西城区百万荘大街24号  TEL: (010) 8837-3057(日本語) 6831-3990(中国語) FAX: (010)6831-3850