〜北京舞踏学院講師関於さんにインタビュー〜
文=中山一貴
――中国初の農村児童バレエ指導センターはどのような取り組みなのですか。
北京から車で3時間程に位置する河北省保定市の端村で、選抜された地元の小学生を対象に毎週日曜日にバレエを指導します。北京荷風基金会という、青少年芸術教育を支援する団体の資金提供により実現しました。農村の小学生を対象にしたバレエ教室は中国で初めての取り組みです。
――この企画に参加しようと思ったきっかけは何でしたか?
私の夢は退職後に妻の故郷である雲南で舞踏教室を開き、山の子供たちにバレエを教えることでした。ですから、荷風基金会から依頼され二つ返事で承諾しました。私が一人で農村に行ったとしても教室がなく、学生を集めることもできません。基金会のおかげで、20年も早く夢が実現してしまいました。
――子供たちを指導する際に心がけていることは何ですか?
まず、東洋のバレエは芸術が技術化してしまっていると思います。技術の難易度や大会の結果などにこだわりすぎる風潮がありますが、私は人間らしさの表現という本質を貫く西洋バレエの精神を子供たちに伝えたいと考えています。そして、練習のつらさや厳しさよりも、バレエの楽しさを教え、古典への興味をかき立てることに重きを置きます。それは専門技術の伝授というよりは心の交流だと思います。また、子供たちには踊りだけでなく教養も身につけてほしいので、脱いだ靴の並べ方や部屋の掃除方法から古典バレエに関する知識まで、時間の許す限り教え込みます。こうした習慣や知識はもちろん、なにより「バレエを踊った」という経験は、たとえ今後踊るのをやめたとしても一生ものであって、一人ひとりの人生に豊かな変化をもたらしていくはずだと信じています。
――農村の子供たちにバレエを指導する教室は中国初ということですが、どういった点で苦労されましたか?
第1回の授業で私が、バレエのことを知っているかと尋ねると教室は静まり返り、『白鳥の湖』を観たことがありますかと尋ねると、子供たちはお互い顔を見合わせてしまいました。子供たちがサイズの合わない古びた衣服を着て、泥まみれの靴で教室を駆け回っているのを見て、都会との格差に愕然としてしまいました。 そこで私は子供たちが靴を脱いで教室に入り、脱いだ靴は教室の外に並べるよう指導しました。専門のレオタードがないと分かったので、メーカーにコスト以下の値段でデザインしてもらいました。子供たちは形式的に一部の費用を負担しましたが、不足分はメーカーと私が負担しました。
――端村の子供たちと都会の子供たちとの間に違いなどはありましたか?
端村の子供たちはとにかく練習熱心です。昼食に教室の外の階段でマントウひとかけらを食べ、水を二口、三口飲むやいなや練習を再開し、昼休みが終わって午後の授業の時間になった時には既に汗まみれになつているほどです。その勤勉さは私が日本を訪れた際に感じた日本人の姿に近いものがあると思います。すぐに休憩したがる都会の子供たちと比べ物にならないほど純粋な気持ちでバレエに取り組む端村の子供たちの成長を見ていれば、指導への意欲が衰えることなどあり得ません。
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あぜ道のバレエ (写真=高天) |
――端村の人々との交流の中で、印象深い思い出はありますか?
私が基金会の職員と端村を視察した時、小さな売店を営む農民が私たち一人ひとりにミネラルウォーターを渡してくれました。その農民はバレエチームの小学生の母親だったのですが、恥ずかしかったのか、私たちに水を渡すなり背を向けて走っていってしまいました。十数本のミネラルウォーターはおそらく売店にとって小さな負担ではないと思います。この母親の犠牲の中には、私たちの取り組みに対する承認と、言葉に表せない感謝と期待が込められていると感じました。この1本の水が、私の大きな原動力となり続けています。
――こうした取り組みは中国の都市・農村間の格差解消につながると思われますか。
私は子供たちに教えることで、自分の『人助けをしたい』という気持ちを形にさせてもらっています。西洋のボランティア精神は中国では未だに一般化していませんが、少しでも多くの指導者が農村に赴き、芸術教育の指導にあたるようになれば、農村・都市間の格差問題解消の大きな原動力の1つとなるのではないかと思います。
人民中国インターネット版 2013年9月11日
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