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隋・煬帝の墓と歴史の謎(下)

「希代の暴君」?「先見の政治家」?

丘桓興=文

前号で紹介したように、最近になって比較的小さな「墓」が特定された隋の煬帝・楊広だが、かつての歴史学者は、権謀を用いて帝位を奪い取り、14年に及ぶ在位の間には功名心からしきりに土木工事や戦いを起こして民を疲弊させる一方、自らは酒色に溺れる豪しゃな暮らしを送った暴君だとしていた。

しかし、近年の歴史学界は、煬帝の功罪と是非、歴史に果たした役割を客観的に分析、評価するようになっている。古くから一部の随筆や小説で、彼は何一つ良いことをしなかった人物として描かれてきたが、最近の研究者は、実は彼は大望を抱き、大事業を成し遂げるべくまい進した人物でもあり、功罪相半ばする生涯のうち、優れた業績は無視できないと評価している。

 

東都の造営と大運河の開削  

唐初の画家として有名な閻立本の筆と伝えられる「歴代帝王図巻」に描かれた左右侍者を従えた煬帝
 それでは、煬帝はどのような大事業を成し遂げたというのだろうか?

まず、彼はこの時代の中国統一に大きな貢献をした。魏晋南北朝という400年近い分裂時代には戦乱が続き、民衆は苦しい生活を余儀なくされていた。581年、文帝・楊堅は北周の幼い静帝から帝位の禅譲を受け隋を建国した。589年、文帝は晋王広(のちの煬帝)に50万余りの兵を率いて南朝の陳を討伐するよう命じた。晋王広は大軍を八つに分け、陳軍が春節(旧正月)を祝っているすきに乗じて長江を渡り、陳の都・建康(現在の南京市)に突入して陳の後主を捕虜にした。彼はわずか4カ月足らずで江南を平定し、中国を統一する上で大きな功績を立てたのだ。

煬帝の即位後、国庫は豊かになり、彼は8年間に三つの大規模な工事を行った。

一つ目は東都・洛陽の建設だ。過去の歴史家は、大規模な土木工事を行って新たに都を建設したことを厳しく非難した。しかし、実際のところ北西部にある長安は、交通が不便で物資の輸送に問題があった。一方、洛陽は長安より東の中原地域に位置し、水陸双方で交通の便に恵まれていた。東部および平定したばかりの江南地区を円滑に統治する目的で、煬帝は604年に即位するとすぐさま多数の民衆を徴用して壮大な都と宮殿の建設に着手し、10カ月で竣工を果たした。しかしながら、宮殿造営用に南方の山深い森林を伐採し、遠路はるばる大量の木材を洛陽に運ばせたため、運搬の途中で数多くの人々が命を失ったのは事実だ。

二つ目は、京杭大運河の開削だ。これについても過去の歴史家は、煬帝が揚州に瓊花(日本では奈良唐招提寺など数カ所でのみ見られる樹木で、ガクアジサイに似た花をつける)の花見をしに行くため、また高句麗遠征の兵糧輸送のために運河を開削させたという認識を持ち、これを彼の罪状の一つに数えた。しかし、実は中国の古代に水運は物資流通の主要な手段だった。そうした中で、長江や淮河、黄河などはみな西から東へ流れているため、南北の物資流通には使えなかった。400年近くの戦乱の時代に、多数の人々が中原から安定した南方へ移動した結果、江南の人口は急増し、開発のスピードも速まった。国家統一後、食糧など江南の豊富な物資をいかに効率的に北方に運ぶかは大きな課題となっていた。戦略的視点を持つ煬帝は、東都の造営が竣工した4日後に、早くも大運河の開削工事を決めたのだった。しかも、運河を開削すると言っても新たな水路を掘るのではなく、海河、黄河、淮河、長江、銭塘江という5大水系のうち、比較的近い支流同士を浚渫して結ばせた。さらに、工事は区間を分け渇水期を待って行われた。それでも、今から1400年前という簡単な道具しかなかった時代には、100万人もの労力を投入しても完成までには6年間に及ぶ苦難に満ちた工事が必要だった。こうして、洛陽を中心とし、北は涿郡(現在の河北省涿州市)から南は余杭(現在の杭州市)に至る全長2000キロに近い大運河が完成した。河岸には船のえい航に便利なように道をつけ、環境保護のために柳を植えて並木にした。これについて、かつて多くの歴史家たちは、煬帝が大運河を開通させるために多くの民衆を投入し苦難を与えたと主張した。しかし、大運河が南北を結びつけたことで国家統一は強固なものとなり、南北の経済交流と発展が促進された。これは、その後300年近く続く唐代の繁栄と、南北の思想・文化の交流と融合に基礎を築いたもので、まさに「罪は当時にあり、利は千秋に続く」ものと言えるだろう。

三つ目は、長城の建設だ。北の突厥の脅威に対し、煬帝は長城の建設・補修を行って軍隊を駐屯させ、守備を固めた。隋代に築かれた長城は唐代にも大きな利益をもたらした。この軍事防衛線のおかげで、唐は自ら長城を建設することなく辺境の安定を確保できたのだ。

 

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